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2006-03-11

何のためにフットを観る?

かつてボスニアで、昨日までの隣人が殺しあう地獄を目の当たりにしたヴァヒド・ハリロジッチは、ダービーの前に、「戦争とテロが頻発する世界情勢の中で、我々は人々にスポーツについての良いイメージを与えなければならない」と言った。
リュボヤもパウレタも、「ダービーが戦争になるとは思ってないし、僕達は殺し合いをしようってわけじゃないんだ」、「2つのチームのサポーターの間に大変な敵対関係があることはわかっているけれど、それ以上に大事なのは、ピッチの中でも外でも敬意を持つということ。僕達は“フットボール”の話をしている、そうだろう?」と言っていた。

フィオレズ事件が起きる直前の、04年4月のダービーでは、警備に当たったパリ警視庁には一件のトラブルも連絡されませんでした。パリの選手達は少なくともダービーの意味を知っていたし、無用な対立を煽り立てないよう気を配り、観客にいい試合を見せるように努めてきたと思います。
ムティエも言っていましたが、私もLFPには大した期待はしていません。フランスフットはもう、私が何かスポーツに夢や信頼や敬意を抱けるようなところではないのかもしれない。

エインセブログの方でも、時々PSGの過去の試合をとり上げています。

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2006-03-06

スティル・イル

ダービーはまだ全部観れていないので詳しいことは分からないんですけど、こと結果に関してはそんなに驚きはないです。最近のパリには勝者のメンタリティが足りなかったから。点が取れないPSGが、カップ戦でのジャイアントキリングは当たり前のフランスで、半端な姿勢で臨めば必ず足をすくわれます。このチームにはエインセがいない…
確かにPSGは恥ずべき試合をした、でもいずれにせよ、いかなる事情があるにせよ、二度とフランスダービーの場でこのような茶番が起こらないように。頑張ったユースというイメージは、たくさんの問題を隠蔽してしまうんじゃないかと思います。

前エントリの事件について付け加えておきたいのは、少なくともパリファンである私には「何が起きてもおかしくない」と思えるような、不信に満ちた事実の積み重ねというものが存在するということです。私が見ていた限り、アラン・ペランがOMの監督を務めていた当時、両クラブには雪解けムードが流れたこともあるし、ブシェ前OM会長はグライユ前会長の友人だったりもしました。両クラブの関係が著しく悪化したのは、OMの連敗が進んだ、特にジョゼ・アニゴの監督就任以降だったんじゃないかと思います。

04年夏の「フィオレズ事件」は象徴的でした。当時のPSGの副主将で右サイドの不動のレギュラーだったファブリス・フィオレズが、8月24日に突然、当時の監督ハリロジッチを面と向かって批判して衝突。移籍の意志を口にして周囲を驚かせました。当初はプレスも、彼は単にプライベートな問題でマイっているのだと思っていた。
5日間の停職処分の後、フィオレズは30日に会長と会談して停職を解かれ、スポンサー車の授与式に出席して支給車を見に行き、チームメイトに「何のオファーもない、自分は100%パリジャンだ」と言って安心させた。しかし停職の間に、OMがフィオレズを獲得したがっているという噂が膨れ上がっていました。

そしてその夜、初めてOMからフィオレズ獲得の打診が届きます。驚いたパリの幹部がフィオレズのカウンセラーに連絡を取ろうとしたが無駄。正式なオファーが届いたのは翌日の31日、移籍市場の最終日。既に事態は収拾しようもなく、クラブはフィオレズの移籍を認めざるを得ず、満足な代わりの補強もできなかった。「この事件は傷跡を残した。我々はこの2日間ずっと、そのことを口にしていない」。幹部の1人は当時こう語りました。

フィオレズは、アニゴと初めてコンタクトしたのは移籍市場が閉まる前日の21時30分のことだったと、テレフットのインタビューでおどけながら弁明したわけなんですが、実際のOMとの交渉はもっと前にさかのぼることを、OMと定期的に仕事をしている代理人が証言しているそうです。彼の友人であるデウーが間を取り持っていたのだと。ここ一番の取材力はまったく馬鹿にできない(ということを自分は痛いほどよく知っている)パリジャン紙は、ハリロジッチと衝突した時点でOM行きの腹は決まっていたと、かなり断定的な書き方をしていました。

移籍の1週間後、ジョゼ・アニゴは定例の記者会見で、フィオレズの移籍に裏工作があったのか聞かれて逆ギレし、「騒ぎを大きくしたPSGの幹部は頭が悪い」、「ダービーで何が起きてもPSGの責任」、「フィオレズは‘独裁’のないOMで幸せだ」等々PSGとハリロジッチを罵って、プレスホールの記者一同をドン引きさせたほどの過剰な反応をした。記事を読む限りでは、肝心の裏工作については触れなかった。それからもうずっと、こんな調子だ。侮辱と、脅しと、移籍のトラブル。いつまでこんなことが続くのか分からない。私ももう疲れてしまった。

フィオレズはOMでのシーズンが終わった後で、「僕の考えが足りなかった。パリは僕のクラブだ」というようなことを口にしたと聞いてます。それが君の懺悔なのか。私は君の献身が好きだったんだよ。

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2006-03-05

好きなようになされば

04年の8月31日以来というもの、フランスダービー(と移籍市場)は試合以外のところでも胃にキリキリきてかなわないんですけど皆さんお元気ですか。トルシエが監督の頃、一度それまでの緊張が一気に緩んだかのような奇妙な雰囲気のダービーもあったんですが。
ここ数日ディウフが、5日のダービーでOMサポーターに割り当てられた座席数と、パルクのセキュリティに抗議して、試合をボイコットするのリザーブチームを出すのとPSGを「脅している」(と書いてある)という頭腐りそうな報道もあって、当然ながら結構な騒ぎになっています。


ディウフによれば、OMサポーターは2000席を割り当てられるはずが1000席しか受け取っていないというのですが、しかしPSG側は、アウェイ1000席(パルクでも、ベロドロームでも)はこの10年以上両クラブ間にある紳士協定であり、前回の対戦の時もPSGはその協定を尊重した。先月24日にOMはPSGに1000席を要求してきたが、それは以前のシーズンに要求されたのとも一致している、と反論しているようです。
なんでこんな事態になっているのやら、試しに当サイトのダービー関連の過去記事(既に削除した記事も含む)を掘り返してみたところ、

03/3/8  「パリからはおよそ800人のサポーターがマルセイユの地に乗り込むと見られる」
03/12/2 「PSGサポーターに割り当てられたチケットは約1千枚
04/4/24  「当日は42,000人の観客と1000人のOMサポーターが観戦する見込み」

PSG広報は以下のようにコメントしました。
「OMは2月24日に1000席を申請し、それから27日に追加の500席を求めるファックスを送ってきました。しかし期限切れで、残念ながら彼らにチケットを提供することができなかった」


また、もう1つ問題になっているセキュリティについてPSG側は、OM側に誤認がある、何のセキュリティ上の問題もないし、OMのセキュリティ担当も前日に確認しに来たではないかと反論しています。パルクのアウェイ席に配備された受け入れ体制と警備は、04年11月7日の試合で採用したのとまったく同じ。しかもその時はOMからなんら抗議はなかった、と。

今日はここまで読むのが精一杯。誤読があったらすみません。なんでわざわざこんな記事を読まなければならないのかなあ…。私はただフットボールを楽しみたい、サイト作りを楽しみたいだけなんですが、それすらもなんだかよく分からなくなってきました。

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