2012.06.29

【映画】

大掃除で、無くしたと思ってたタルコフスキーの『鏡』のDVDが出てきたのは収穫だった。

これはこの映画の有名なシーンだけれど(YouTube)、どうも『リング』の元ネタじゃないかという気がするの。

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2012.06.02

【映像、アート、フランス闘牛】 10年と、10日間

"10 ans et 10 jours" (vimeo)


─子供の頃、ホセリートを間近で見た。それからリンコンや、エスパルタコ…。僕はすごく内気だった。ベジエのクアドリージャのパティオの片隅から、僕の正面に立つホセリートの姿をしげしげと見た。その真剣さ。首の傷跡…。僕は心動かされ、彼らのようになりたいと思った─


正闘牛士昇級10周年の2010年8月。闘牛場の通路で入場を待つセバスティアン・カステラの集中の表情を、たんたんととらえたオープニング。
彼の友人、アーティストのシルヴァン・フレイスが、故郷ベジエのフェリアからビルバオまで、セバスティアンとクアドリージャを追った10日間…約19分のモノクローム映像です。

フレイスはセバスティアンと同郷の出身で、主にペインティング(ちょっと、リヒターを思わせるような)のアーティスト。同じセビージャに住み、路上の壁に闘牛士のポートレートをステンシルするストリートアート・プロジェクトなども継続している。
一見して明らかに、専門の映像作家(のテクニカルな作為性)とはアプローチの仕方が違います。


オープニングの幼少時の記憶は唐突に断ち切られ、余計な説明も物語もなく、カメラはただ闘牛に臨むセバスティアンを追う。通路で、カジェホンで。そして寡黙な映像のハイライトは、12分30秒頃から始まるムレタの場。(これナイン・インチ・ネイルズの"Ghosts"ですね)
最もフレイスの個性が出た、重く息詰るようなスローの、幾分死の匂いのする…それは芸術における賛辞、つまり死を描くことは生を描くことでもあるから。

繰り返し繰り返し角の間に立ち、牛に近づこうとする。彼が最高の闘牛をする時は、彼と牛は得体の知れない1つの生きもののように見える。
伝統的な闘牛界ではエトランジェにすぎなかったフランス人のセバスティアンは、デビューした頃、注目をひくためにこのような危険な技を濫用したといいます。リベラシオンの名物闘牛コラムのライター、ジャック・デュランは、それを彼の唯一の欠点だと言った。しかし同様に、彼の長所はその恐るべきストイシズムだと。痛みや恐怖にまったく頓着していないようにさえ見える、謎めいた無関心…


画面が暗転し、クアドリージャの1人1人に感謝が捧げられ、バンデリジェロのアンベルの歌が始まり、映像は生の世界に戻ってきます。彼を支えるプロフェッショナル達の歌と手拍子をバックに、セバスティアンのファエナのラストシークエンス。
確かに闘牛を知るアーティストの撮ったものだと思う。ストイックに、刻印された一瞬の生とそのかたち。ただ「美と記憶の要請」に従って。

「私に語りかけるものは、フィロソフィックなアプローチだ。ホセ・トマスやセバスティアン・カステラのようなトレロの」(シルヴァン・フレイス)

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2011.12.06

【日記、映画】 時々、映画みたいな夢をみる

旧ソ連のどこかの田舎町だと思う。隠遁してシェパードと暮らしている男の家に、木立の中の道の向こうからコートを着た警察官が2人歩いてきて、何ごとか言葉を交わした後、男は荒れた野原に出て(それはどちらかというとコーカサスの高地のような風景だったけれど)、這うようにしながら、汚染された四つ葉のシロツメグサをむしっては口に運ぶ…最近そんな夢を見た。

シェパードを連れた男のイメージはたぶんこれからかな↓。世界を救済してほしいという狂信者の遺言を実行した男が、死の間際に見たロシアの故郷の幻。
私はハスミンや淀川さんのおっしゃることは分かるのだけど、それでもタルコフスキーは好き。生理的、記憶に基づく潜在的なものだと思う。水音とか、木々のざわめきとか。

Tarkovsky, Nostalghia (1983) (YouTube)

                        Laceg_2

今朝は、うっかり彼女を殺してしまったらしき男が、困り果てた末死体をトランクに詰めて、どこか人里離れた山中に置いてこようと長距離バスに乗るのだけれど、トラブルでどうしても終点にたどり着けない、という何だか(ブラック?)コメディタッチの夢だった。これはたぶんブニュエルの『昇天峠』じゃないかと思う…

民家の灯りも見えない夜道で停車して、1人残った乗客である彼が、運転手の家庭の愚痴を延々聞かされる…というところで目が覚めたんだけど、その男というのがなぜかスティーヴン・マルクマスなの。我ながらナイスなキャスティングだと思った。(ごめんなさい)

だぁれが殺人犯じゃ
Stephenm

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2011.05.19

【サッカー、映画】 PSG周辺話、ふたつ

【テレンス・マリックのサッカー談義】

なんでまたPSGのファン?と訊かれるような時には、てっとりばやく「ベルモンドが観に来るクラブだから」、と答えることにしています…


PSGはまがりなりにもパリのクラブということで、ショウビズ界のサポも多いのだけど、実ははるか大西洋の彼方にもファンがいたらしいよ…なんてネタ話を最近ル・モンド・マガジンが掲載したみたいなのね。

つまり2001年のロサンゼルス。当時のカナルプリュス会長にしてPSGのオーナーであったP・レスキュールと、映画監督テレンス・マリックが会談した際、マリックが真性のサカオタであることが判明したらしい。
彼はレスキュールに、「PSGはパルク・デ・プランスにとどまって、スタッド・ドゥ・フランスに本拠を移さないことが肝心ですよ。パルクはPSGの魂。スタッド・ドゥ・フランスに移転すればこのクラブの歴史は道を誤るでしょう」、と熱く語ったそうなんだ…

わざわざフランスからもちろん映画の話をしに行ったはずのレスキュールも、マリックにとっては単なるサカ話のカモだった(?)という話。


【ロシュトーのスタイル】

レキップ・マガジンのドミニク・ロシュトーの写真特集が面白かったです。

http://www.lequipemag.fr/EquipeMag/Avant_hier/PORTFOLIO_le-style-rocheteau.html

もちろんロシュトーの現役時代は知らないけれど、個性的なスタイルの持ち主だったのね。かつての"緑の天使"も今ではすっかり腹回りの堂々としたおっさんになっているけど、パウレタ引退試合で、54歳まさかのボレーシュート(キレキレ)には度肝を抜かれたものでしたよ。
フランスサッカーを彩った、いくつもの奔放な個性。私がサッカーを見始めた頃、フランス代表に彼らの居場所はほとんど残っていなかったように思う。

Rocheteau

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2011.04.06

【音楽、映像】 Fall on Me

あれは酸性雨の歌らしいけどね。

雨の降り出しと共に上昇していくガイガーカウンターの数値を見ながら、どこかタルコフスキーの映画の中にでもいるような、みょーな非現実感のある最近でございました。


R.E.M. - Losing My Religion (Video)

R.E.M.、91年の『ルージング・マイ・レリジョン』のプロモーションビデオ。導入は、いきなりタルコフスキーの『サクリファイス』の借用と思われる。
タルコフスキー、パゾリーニ、パラジャーノフ、ケン・ラッセル…?様々なイメージのコラージュ、早い話がデレク・ジャーマンだ。(そういえばジャーマンの"庭"からは原発が見えたっけ)
これをオマージュと呼ぶには、私はちょっとばかり抵抗があるんだけれども。

ハワード・フィンスターの庭をさまよっていた頃から、アセンズの"大学生のお気に入り"たちもずいぶん遠くへ行ったのだった。
撮影はターセム・シンで、これはその年のMTVの最優秀ビデオに選ばれた。ターセム・シンの映画は観たことがないけれど、私はMTV出身の映像作家特有のあざとさがあまり好みじゃないのかもしれない。

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2010.11.19

【ラグビー】 今週のマルクシ

土曜のフランス×アルゼンチンで両国国歌を歌うのは、アルゼンチンが"歌う元プロップ"オマール・アサン、フランスがAnne Etchegoyen。

なぜこのラ・マルセイエーズに「特別な重要性」があるのかというと、おそらく、Etchegoyenさんがバスク人だからかと思われる。

                        Laceg_2

月曜の夜、マルクシの代表トレーニングセンターではパラの22歳の誕生祝いが行われた。シャバルがTwitterで明かしたところによれば、パラは代表の選手とスタッフから「立派なbraisier」を贈られたらしい。

BRAISIER?思わず辞書をひっぱり出したRMCラジオのサイトの中の人は、それが"パン屋が火を消すときに炭火を入れて密閉するもの"であることを知った。妙な贈り物だ…
シャバルによると、これは実は代表選手スタッフの間で使われる"マルクシ言葉"。braisierとは、代表の集合の間に誕生日を迎えた選手に贈られる伝統的なプレゼント…つまり財布のことだそうである。

                        Laceg_2

フランス代表のちょっとした息抜き。水曜の夜代表は、ラシンの元選手で現在はジャーナリスト・作家のフィリップ・ ギヤールの初映画監督作品、"Le Fils à Jo"の試写を鑑賞した。
タルヌ県の小さな村を舞台に、ラグビーのレジェンドである祖父と父を持ち、自らも名選手だったJo Canavaroと、1人息子の生活を描く…というようなストーリー、かな。

↓映画トレイラー(YouTube)
Le Fils à Jo bande annonce vf fr HD

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2010.09.23

【映画】 映画の記憶、2つ

子供の頃にTVか何かで見かけて、後々まで「あれはいったい何の映画だったんだろう」、とふと思い出すような経験はどなたにもあるんではないかと思う。

ごく小さかった頃、公立病院のロビーの不安な待ち時間に、坂道で少年の一団に追われて、取り囲まれ食われるように消えていく男の奇妙な映像をTVで見た。よくある子供が大人を襲うようなホラー映画のたぐいだろうかと思っていたけれど、後になって、エリザベス・テイラー主演の『去年の夏 突然に』の有名なシーンだったと分かった。

映画はモノクロだったけれど、面白いもので、記憶の映像にはちゃんと色がついている。

                        Laceg_2

チェシャ猫、ナイフ、階段を転がり落ちる色とりどりのビー玉…

映画好きの方はお分かりかと思います、ルネ・クレマンの『狼は天使の匂い』。
私のこの種の記憶の中では最も鮮やかなシーンの1つで、その夢のような映像に、どこまでが実際に見たものだったのか長いこと判断しかねていた。なぜ逃げ場のない死の脅迫と、童話的なイメージが記憶の中で混在しているのだろう?、と。

今日どうしてこんなことを書いているかというと、NHK-BSの放送予定の中にこの映画を見つけたから。今では少しTVで放送しにくい類の映画なのかなと思っていた。
子供心に「不思議な映画だな」と思ったのを覚えている。大学に通っている頃やっとタイトルが分かって探して観たのだけれど、あの映画にはもしかしたら『狩人の夜』の影響でもあったんだろうか。久しぶりに観てみよう。

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2010.03.05

【映画批評、ラグビー】 批評で読んだ(ラグビー)映画

Biko (Robert Wyatt version) (YouTube)

(あえてロバート・ワイアットの方を。95年のラグビーワールドカップは見ていないけれど、アパルトヘイト撤廃にいたる時代を、私は主にミュージシャン達の運動と共に体験してました。そして15年…)


イーストウッドの『インビクタス』を、ハスミン(元東大総長)がどのように批評、というか擁護なさるのかが、実は映画以上に興味深かった。で、『群像』を買いましたのです。

ハスミンはあまりにも予定調和的に図式的な作品を前に、"これは映画を精巧に模倣したシミュレーションではないのか"と驚いた後、それは「不自然というほかはないまでに透明な作品の表象的な図式」であり、その透明さを「挑発」とみなし、そのように「映画の亡霊」として完璧に仕上げられた『インビクタス』は、むしろそれ故に「滅法面白い」とおっしゃる。
透明な映画を透明に批評する荒技かと思いますが、手癖ともいえるかもしれません。

私は観ていないから滅多なことは言えないけど、イーストウッドは、まさにベルビジェが95年ワールドカップを批判した「ボクスのジャージを着たマンデラ、カップを受け取る主将のピナール、そのすべてがイメージされ、そのようにならなければいけなかった」というやり方で、(挑発的に?)この映画を撮っているのかしらね…?
それは手法としては完全なフィクションとも言えるし、本質的には徹底したリアリズムとも言えるのかも。だってワタシタチは歴史上、現実に、どれだけの"透明な"物語を目にしてきたか分からないから。


ところでハスミンはこの映画を、(少なくともこの時評では)「ラグビー映画」としては観ていない様子です。私がヒソカにいろんな意味でドキドキしていた、ハスミンのラグビー批評参戦はたぶんない。
あたしのようなバカでも、サッカーファンの立場として『スポーツ批評宣言』は結構なトンデモだと思ったけれど、"ハスミンちょっと挑発してくれないかな"、と思うことはある。もちろん立派な方はいらっしゃる。けれど、私はここにはちょっと他者が必要じゃないかと思うんだ。時々。

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2010.02.02

【映像、ラグビー、闘牛】 輪をめぐって

週末はなんやかんやで忙しかったけれど、シックスネイションズ体制に入る前になんとか"BQE"のレビューを仕上げることができました。ハー。

直線(進歩)と円環(循環)は、キリスト教的思想と東洋思想のわりとステロタイプな対比の図式ではないかと思うけど、そのあたりはスフィアンがスピリチュアルな環境で育ったということにも関係しているのかも。
映像でフラフープを回しているのがアジア系の女の子なのは、そういう意味合いなのかな。

たまにここにアップしてるスフィアンのロングインタビューは、あの後彼がアジアに観光旅行したときの話に入っていくんだけれど、「紫禁城の中にスターバックスがオープンするなんて聞くと、かなり罪悪感を覚えるよ」…彼はそういうタイプのアメリカ人。


個人的な話をすれば、私はスポーツ観戦が趣味ではあるけれど(現在シロウト芸ばかりの日本で見られる、数少ない"プロによる"娯楽である)、それでもスポーツに「巨大」で「競争的」で「直線的」なものを求めていたわけではありませんでした。
私が見たいものはいつも、ただひたすら勝利のベクトルを志向するばかりの直線的運動からすればまったく無駄なものであり、迂回路であり、路傍の花でした。

フープの個人的で不合理で無意味な楽しみ…ある意味、私はフランスラグビーに、15個のフープが奇跡的にシンクロする瞬間を見たいのかもしれません。
そして連想はさらに闘牛へとつながっていくのであります。
闘牛士を軸として、ムレタと牛が描く回転の運動。楕円のアレーヌの小宇宙を起動させるムーブメントであり、本質的には致死的な剣の直線運動をもって止めるしかない、セバスティアンが"交尾"と呼んだあの融合の輪のことに。

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2010.02.01

【映像、音楽】 映像としての"BQE"を鑑賞する

Bqess_2スフィアン・スティーヴンスの最新作"The BQE"は、CDとDVDの2枚組。CDの方は彼の映像作品のサウンドトラックということなんでしょうかね、若干変則的です。音楽、映像、アートワーク、テキストからなる総合芸術作品ととらえるのがよさそう。
DVDの映像は、スフィアンとシネマトグラファーのReuben Kleinerが撮影、編集を手がけている。スフィアンはもともとグラフィックの仕事をしていたそうで、ビジュアルアートの才能もあるのだろうけど、映像の編集センスもなかなか非凡です。


THE BQE- A FILM BY SUFJAN STEVENS
(YouTube)

オープニングは、朝のざわめきの中から立ち上がる、NYの日常といった趣。川(運河?)をはさんで、BQEことブルックリン-クイーンズ・エクスプレスウェイの背後に臨む街並。一続きに見える画面は3分割されており、ボートや自動車が唐突に消えては現れ、流れていく。
おお、これはアイロニックな『デルフト眺望』じゃないかしら。『デルフト眺望』が、水平性を高めるため現実の風景を巧みに"編集した"画であるという、トリッキーな面も含めて。

そして突如鳴り渡るファンファーレ。3人のフラフープ・ガールズ(B、Q、E。あるいは合衆国と国民とモータリゼーションの三位一体とも言えましょう)によるタイトルバック。つまり、これは"運動"をめぐる映像作品なのです。

映像はまずBQE周辺の、新旧スタイルの雑多な建築物、広告看板、橋や川、墓地といった風景を追い、反転してBQEの老朽化した外観、散乱するゴミ、絶え間なく続く工事、トラック、渋滞、交通事故、落書き…等々を映し出していく。
そしてカメラは車に乗って、「アミューズメント・テーマパークのアナーキー」の中を走り出す。


フラフープは(時に車輪の回転と共に、走行する自動車とシンクロしつつ)、直線運動と円運動の対比として繰り返し挿入されます。何かあるね?そう、これはスフィアン渾身のテキストで種明かしされている。

1950年代、州間高速道路整備の大プロジェクトと、ほぼ時を同じくして大流行したフラフープ。
自動車はアメリカ黄金時代の前進主義(とてもキリスト教的な)のシンボルであり、モダン都市計画の大義名分のもとに区域を強引に分断しつつ通されたBQEは、その怪物的な遺物であります。
現在に至るまで論争の絶えないこの道路の建設を推し進めたロバート・モーゼスが、同時に手がけていた「競争的で、アスレティックで、直線的な」公園計画(巨大なプールや野球場やテニスコート…等々)と対比させながら、スフィアンはフープをこのように定義します。

「フープはチームを必要とせず、競争もなく、直線的でもなかった。それは哲学においては個人的であり、形而上学的には不合理であり、無意味な楽しみと運動以外の何ものにも寄与しない、プラスチックの単純な円管の周りに形作られる無償の娯楽だった」

フープは何らの進歩ももたらしはしない。しかし、それは宇宙の運行にも似た循環する永続的な回転運動の内部で、人を瞑想に導く…つまりこの作品は、スフィアンの目下の創作活動における主要なテーマである"アメリカ合衆国"、その近代化についての彼流の批評なのですね。


ハドソン川に陽が落ちて、フラフープの円運動は夜の遊園地の回転ブランコや観覧車(今は閉園したアストロランドかと思われる)に連動し、動線となった車のライトはますますムーブメントを際立たせ(それは同時にBQEの高速自動車道路にあるまじき角度のカーブや坂を明らかににするのだけれど)、光の軌跡がめまぐるしく交錯し、最後に、一瞬の暗転の後、無数の花火の輪が夜空に打ち上がる…Be the hoop!


対向車線の車の列の横を、(時折カメラに手を振りながら)流れていく自転車の群を、ゆったりとしたスローモーションでとらえたエンディングクレジットの後に、2曲分ほどおまけの映像が入ってる。こんな人達が撮ってますよ、という、とてもひかえめなカーテンコール。
ここではCDの方には収録されていない、スフィアンのボーカルの入った曲が聴けます。
インストゥルメンタル主体の作品ということもあるけれど、"イリノイ"で自分の声に自信を持ったという彼が、ここでは、曲における"歌"の優位性を音響に還元するような歌い方をしてる。

Sufjan Stevens - The Sleeping Red Wolves (from The BQE)

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