2008.04.26

シリーズ 資料を見ないで描いてみる 

お題:ミッフィー

結構前に、某お花配送サービスのキャラクターにミッフィーが使われていたことがありました。 妙に立体的なCGミッフィーが、道の遠くの方からありえない大股でずんずんこっちに近づいてくるTVCMがあったんだけど、あの巨大で無表情で不条理な顔面でぐいぐい迫られたら、泣きながらお花を注文してしまうでしょう。

たとえば夜、眠りにつく前にミッフィーの顔を思い浮かべてみます。ぐんぐん近づいてきます。いつしか目の前いっぱいにまっしろなわけのわからない世界が充填されます。うなされそうです…。好きだなーディック・ブルーナ。

Miff1

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2008.04.12

 笑いと90年代

VicVic and Bob - Mulligan and O'Hare
http://jp.youtube.com/watch?v=7eOYqR_Lz9w

ワンダー・スタッフのエントリを書いててコメディアンのヴィック・リーヴスのことを思い出したので(一緒にシングルを出したことがある※。ナショナルチャートの1位だった)、コントの動画をいろいろ見てたんですけど、頭が疲れてる時に見ると変な作用があります。まあイギリスのお笑いなのでそこそこ黒い(なぜアイルランド人)。たぶんさりげなく日本の芸人にパクら(ryいるよね。

※ http://jp.youtube.com/watch?v=565VoXgSTgc

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2008.04.07

 すれ違った犬たち

少し前にはどこを歩いても飼い主と散歩中のレトリバー種の犬がいた。それからテディベアカットのプードルやミニチュアダックス、チワワ、コルギーといった中・小型犬の姿が増え、最近は黒毛の柴犬を連れた人をよく目にする。この犬は私が小さい頃によく見かけた、「四ツ」と呼ばれた、目の上に四つ目のような班のある雑種の黒犬に似ている。私はそういった犬の賢げな顔立ちが好きだったのだが、親達は「山犬の血が混じっている」といって敬遠していた。

私が子供時代を過ごしたのは田舎の荒涼とした町のはずれで、放し飼いや野良の犬があたりまえのようにそこいらをうろうろしていた。その頃その辺りでは犬はずいぶん野放図に飼われていたから、子供の目には巨大なシェパードや、熊や猪狩りに使われるという小柄だが気の強い猟犬や、近所の肉屋が飼っている闘犬(店主は散歩の時わざと長めに鎖を持つ)や、愛らしい顔をしているけれど口輪がその信頼感を損ねている中型犬が鎖をいっぱいに引いて吠え立てる中を、それほどには危険ではない放し飼いの犬と、少し緊張して、すれ違いながら学校に通っていた。

小学校の周りには入れかわり立ちかわり気のいい犬がやって来て、渡り廊下の横で通りかかる子供達に嬉々として腹を見せたりしていた。時々授業中の教室まで入り込んでくる犬もいたが、追い出されるとしばらく校庭で所在なげに遊具を嗅いだりしながら、やがて何事かを思い出したといった様子で門から出て行った。
当時一部の校舎はまだ木造だったのだが、ある日友達が大発見をしたという顔で私を呼ぶので行ってみると、教室の床の節穴を覗いてみろという。見ると、その床下の暗がりに、ぽかんと丸いうつろな眼窩の、ひからびた犬の死骸があった。何があったのか、とにかくその犬は床下に入り、節穴から漏れる光と子供達のざわめきの下で死んだのだ。

犬と子供達は着かず離れず、しかしおそらくとても近いところで、何か生々しいものを共有していたような気がする。そこでは私達子供は「がき」だったし、犬達は「畜生」といったようなものだった。「野犬」という恐ろしげで事務的な言葉がその頃あったのかは記憶にない。あの日本犬独特の姿かたちをした雑種の犬達を、最近はあまり見かけることがなくなった。

いくつの頃だったかは思い出せないのだけれど、川沿いの自転車道路を母に連れられて歩いていた時のことだ。天気のいいのどかな日で、広い河川敷はカランと人気がなく、遠くに陽炎が立っていた。向こうから白に赤いブチの、マスチフが入ったような顔つきの垂れ耳の犬が歩いてくるのが見えたが、おぼつかない足取りで近づいてくるにつれ、犬の半開きの垂れた口から血の泡を吹いているのが分かり、アスファルトには点々と血が落ちていた。すれ違いざまに一瞬こちらを見上げた時の、犬の血走った悲しく、しかし何かを諦観したかのような目を今でも忘れることができない。しばらく歩いたところで振り返ると、犬の姿はよろめきながら、もう随分遠くにあった。

Sakura08_007

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2008.04.06

 ことしの桜も

前のエントリの動画は4月1日に放映された番組のようで、司会者の背中に紙でできた魚が貼り付けてあったりしたけれど、このあたりでは昨日、今日と桜がたちまち散って、花びらが前を行く人の髪や肩に舞い落ちているのを見てふとそんなことを思い出したりしました。

もうお花見は終わったのかしら

Sakuraneko

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2008.03.30

 猫と花見

Sakura08_003

私の住んでいるあたりでは、この週末はソメイヨシノが満開でした。日曜は午後から花見客にはあいにくの雨になりましたが、雨の日は花弁が下を向くので見上げると桜もまた違う趣です。

土曜は花曇りというのか花冷えというのか、雲が多く肌寒かったとはいえ、近所の花見スポットでもそこここにシートを敷いたお馴染みの花見の光景が見られ、界隈をねぐらにしている猫さんたちも、いつもと違うただならぬ気配に気もそぞろな様子でした。そこいらに駐輪している見慣れぬ自転車の列に体をスリスリして匂いづけに余念のない猫が、「なにコレどういうこと!?」という顔でニャアニャア言ってくるのだけれど、そういえばキミは去年の春仔だから花見は初めてだったね。

猫はというものは概して酔っ払いが好きで、どうやらヒトのあられもない酔態は猫にとってはたまらなくスペクタクルらしいのです。花見の時には宴会に興じる間に猫に手ぬぐいを盗られないようお気をつけて。浮かれた猫が手ぬぐいをかぶって踊り出さないように。

Sakura08_001

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2008.02.24

 北西の空からこんなものが襲ってきた

Sunaarashi_2

夕焼けなんかじゃありません。空が向こうの方からみるみるどす茶色くなってくるので、慌てて家に入った直後に猛烈な砂嵐来襲。通過までその間約10分、洗濯物がざりざりの砂まみれにつき洗い直しです。どうもありがとうございました。

Sunaarashi_002

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2008.01.09

 路上に赤が流れる

もちろん凄惨な現場の写真というわけではなくて、晩秋の低い光線のいたずら。ゆるい上り坂の道で、肉眼ではもっと赤かったのです。

Akaikage

私は日頃霊感がどうこうというタイプではないですが、なんとなく変な感じのする場所というのはあるものです。薄暗いとか人気がないとか、いろんな要素が複合してそんな気分にさせるんでしょうが、今日またこの道を通ったら、道端にTVが捨ててあって(前々エントリ参照)はげビビタ。

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2007.12.27

 貸しません

ヒー年賀状がまだだよ!

実際このくそ忙しい年末に貸すと言われても借りたくないのが猫の手である、ということを猫飼い経験者は身をもって知っているのだ。キミタチはとりあえずそうしてお香箱を作っていてくれればよいのである。

Koubako

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2007.10.27

 どうしたものか

ここしばらくサイトをどうするかということを考えていましたが、結局他の更新は止めてこのブログだけが稼動していくことになると思います。やっぱり今の範囲の更新でいっぱいいっぱいかなと。楽しいからいいのですが、結構タイヘンなのですよ…
それにあたってブログをパスワード制にするのもアリなのかなと考えてます。できればどなたにでも読んでいただきたいと思うし、残念なことなんですけれども。

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2007.09.01

 夏の清算

とにもかくにもワタシの9月は、この夏の猛暑の中うっかり放置しているうちにスルメのように丸まった600余枚のチェコ切手の整理から始まったのだ。保存缶を開けた瞬間、ふえるわかめちゃんのごとき惨状に思わずワラタ。切手というものは素手で触るなどという無礼は決して許されず、丁重にピンセットでお取り扱いあそばさなければならない。もう慣れたとはいえ疲れる。

実際あっけないほどの速度で夏が駆け抜けてしまい、あとにはヨレヨレのワタシが残されたのである。思えばこの夏も散々だった。冷房は苦手のため扇風機をかけっぱなしにしておいたら、もともとドライアイ気味の目がやられてしまった。ここ数日涼しいのはいいのだけれど、久々の前線停滞で体調も気分もイマイチ、ピンセットを放り投げて「あーもうすべてを清算してしまいたい!」という唐突な衝動にかられるのもこんな時である。

事実このところ「もうフットのコンテンツは潮時なのでは」と思っているのだ。時間的にも体力的にも全部のコンテンツを維持するのはちょっと無理、というのもあるけれど、なによりフットに関しては、長年イロイロと好もしくないところばかり見すぎてしまったのではないかという気もいたします。例年のごとく夏の移籍シーズンは、「フットってやっぱりやくざな業界なのネ」、ということをしみじみと再認識させてくれる数ヶ月であった。誰だってディズニーランドのミッキーマウスには中の人がいることを知っているのだ。「騙されてあげるからうまく騙してくれなきゃイヤン」、と、私のフットに対するスタンスはそういうものである。

それでも先日、今季初めてリーグアンのPSGとルマンの試合を観て、結局のところなんだかこう胸がアツくなってしまったのだった。いつかコイツがキャプテンマークを巻くことになるのかなあと思っていたアルマンが残留して主将をやっている。ゴールも決めた。ロテンはボールを持てばやはり格の違いを感じさせる選手だ。ランドローの片手キャッチングには思わず「おおー!」と嘆声が出る。残留宣言をしたパウレタはベンチだけど、PSGがゴールチャンスを逃すたびにカメラに抜かれるので不在感ゼロ、というか一番よく映ってたかもしれない。ダメ出しか拍手か、パウ様のリアクションがすなわち批評であり、最後の審判における大天使ミカエル様の魂の秤なのである。そしてサポーターの「アーレ、パリー!」。いいねえ。
試合はまがりなりにも2-0でPSGが勝った。果たして次の中継があるのかいつになるのかは知らないが、8月の最後に幸せな気分だった。松井君の代表のジャージ姿がまた見られるであろうことは嬉しい。私はフットに一定の「特別なクラブ」なんかないと思っている。どんなクラブであれ、小さかろうがヘタレてようが、ファンにとってはそこが特別なクラブだからだ。


8月の終わりに、そろそろ秋らしい雲が出てきたなと思って写真に撮ろうとした瞬間に、落ちかけた夕陽が雲に反射して空一面が炎上した。あれが夏の最後の残照だったと思う。

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2007.08.18

 ↓マルティ

むしろ前田健だと思う。

関係ないけどモンティパイソンの赤ずきんっていうのはこれです。
デリケートな方にはトラウマになりかねない映像なので気をつけてください。

http://jp.youtube.com/watch?v=iKbWdgW6sD8

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2007.06.26

 今日の琴線

Fr2急いで書いた前のエントリが意味不明だったので、ちょっと書き直しました。あんまり変わらない。


熱帯ペルーでペンギン化石発見=初期と最大級、2つの新種
熱帯の南米ペルーの太平洋沿岸で、約4200万年前の初期のペンギン化石と、約3600万年前の最大級のペンギン化石が26日までに発見され、ともに新属新種に分類された。これまでペンギンは南極近くで進化し、800万~400万年前に赤道付近まで生息地域を広げたと考えられていたが、この見方が覆された。米ノースカロライナ州立大などの国際研究チームが、米科学アカデミー紀要の電子版に発表する。
(時事通信社)

推定体長1.5メートル。これは嫌ですよ。画像は息をのむほど可愛くない1999年発行フランス領南極のヒゲペンギン切手です。ペンギンは仏語では“manchot”といいますが、「不器用」といった意味の単語です。

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2007.02.25

 すがれるバラ

Winterroseこの冬のある日、まるで飴細工みたいにフリーズしていたバラ。

冬の間に道すがら、よく目についていたのがバラの花でした。とりわけしおれかけた老醜のバラの凄みにひかれるものがありました。暖冬とはいえ夏のバラみたいにたちまち腐り落ちることもなく、通りかかるたびに朽ちていくところを見ることになります。小野小町九相図を見るように。


なんて品種のバラだろう、風もないのにこの花だけがぐらぐら頭を揺らしていました

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定点観測

Brose2

関係ないけど猫の日に見た一番かわいかった猫

222

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2006.12.23

メリークリスマス

Plateクリスマス商戦恐るべし、ついつい余計な自分用まで衝動買いしてしまうのがこのシーズンなんだけど、ふと気がつくと手元にアラビアの27年前のイヤープレートが。アレ?
パッと見て、「あ、ブリューゲル」と思いました。ブリューゲルの“雪中の狩人”。プレートの図柄は氷の張ったフィヨルド(?)で魚を獲るひとたちで、ブリューゲルのみたいにスケートして遊んでいるわけではないんですが、俯瞰の構図や落葉した木々の感じ(針葉樹でないのが開けた感じでイイ)、冬の澄みわたった空気感がちょっとそれらしくて気に入った。

“雪中の狩人”の、タルコフスキーの映像みたいな抜け方が好き。「農民のブリューゲル」などと言われているわりには、農民への共感というよりは一歩引いて現世を見つめるようなアイロニックな視線を感じる画家だけれど、この作品はちょっと趣が違う。絵のところどころにいる鳥の、フラットな目で見た世界…みたいだ。

Hunter2ブリューゲルについては嘘かまことか、景色をさかさまに股のぞきしようとした時に心臓発作か何かで死んだ、なんて話が言い伝えられてる。この話でなんとなくフットボールのことを考えてしまうのは、DFに思い入れながらフットを見るってことは、ある意味さかさまにフットボールの世界を見るようなものかもしれないな、なんて日頃思っているからです。

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2006.12.20

携帯写真日記・ささやかな日本の四季

カメラ付き携帯の写真のモアレ状の空には前から頭が痛かったんだけど、最近紅葉したモミジの木を撮って改めて携帯の限界を知る。細部が完全につぶれとる…。しかし自分は「通りすがりにテキトーに撮る」というスタンスになんとなく妙なこだわりがあるのだった。

しかたがないので落ち葉の吹き寄せを撮ってみる。

Hukiyose1

年末年始を前に、そのへんの駐車場にてリゾートビーチの砂浜を擬態する落ち葉たち。
「ワイハァ~」って、死語だよ君達。

Hukiyose4


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2006.12.12

増殖ドット

ヒメツルソバの花がなんとなく目について、最近こればっかり撮っていた。
花というより花粉そのものの顕微鏡写真というか、むしろカビの胞子というか粘菌というか、一見カワイイがむっちゃくちゃ繁殖しそうな不穏な形状である。事実増えるらしい。

Hime

Hime2

Hime3

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2006.12.05

ベズの木

90年代初頭のマンチェスターから時空を越えニッポンの庭先で躍動するベズのソウル。その残像。

Karin

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2006.12.02

そして土に帰る

晩秋のある日、大きな腹を抱えたメスのカマキリが産卵場所を探して石段を上っていた。春に孵化する卵を産んだそこが死に場所になる。

Tourou

おそらく満開だった頃より美しいだろう

Rose

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馴れ合う自然

朱に交われば

Momiji1


黄に交われば

Yellow

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2006.11.30

眠れない眠れない

たしかに私はフロントローびいきかもしれませんが、今日TVで森三中のオッパイにちょっとぐっときてしまいかなり重症だと思った。そろそろ午前3時。

Debunyan

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2006.11.16

秋はいろんなものが落ちているので

落ち葉

Ochiba6

サザンカ

Sazanka

足跡化石

Asiato

これは…

Nyanko2

落ちていたわけではない

Nyanko

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2006.11.07

木の実の影法師

Kinomi

朝からの強風でずいぶん木の実が落ちた。踏まれて蹴られて散り散りになる途中、秋の午後の光線でつかの間の秩序が生まれる。

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2006.10.30

秋色猫

秋冬物の季節といってもアンダーコートの重ね着しかなさそうな猫達のオシャレの見せどころは背景とのコーディネイトだ。キジトラと赤猫が元気。落ち葉の中を火のようなオレンジ色の猫がもったいぶって歩いていく。

Akinohi6

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2006.10.03

魚群に追われる

土曜日。
1ヶ月前は、牧羊犬に追い立てられた羊の群れがぐるぐるしているみたいな空だったけれど、ずいぶんウロコらしくなってきたじゃないのと思っていたら、たちまちギッシリ埋まって重たい曇り空になった。
晴れませんね。

Akizora4


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10月のはじまりにあたって

Mirror先月はお祭り連発ムードに流されすぎたような気がする。
ちゃんとやろうと思う…

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2006.09.19

カメラが欲しい

Yuuzora7といってもそんなに難しいものでなくていいんです。コンデジ。軽くて気軽に持ち歩けて猫さん達に威圧感を与えないようなの、で、そこそこズームが効いてそこそこ接写もできるやつ。
フィルムカメラをあまり使わなくなってから、写真の撮り方が、どちらかというと「片々たる日常の記録」的になった気はします。良くも悪しくもラフというかいいかげんにはなったけど、同時に、無意識に撮れちゃったみたいな偶然性の方が面白くなってきました。

カメラが変わって写真の撮り方が変わったみたいに、日常的にワープロやPC上で文を書くようになってから、文章の書き方も変わった気がします。流れの中で書き進めることが少なくなり、思いついたことを思いついた時に書いて後で継ぎ合わせたり、順序を入れ替えたりしますが、その過程でまた違う展開になったりします。

ひとつ思うのは、目の前にあるのが自分自身の字でないのはどうだろうということです。自分の癖の出た字を前にして考えを進めるのは、ある意味、書きながらいつも自分を意識せざるをえない、ということにもなるんじゃないかと思うんだけど、無個性なフォントの文字を見ているうちに、時々自意識が一人歩きするような感覚に陥ることがあって、まして匿名的なネットでは、それはちょっとあやういことかもしれない。今さらな話だけれど。

昨日、台風一過の夕焼け。

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2006.08.31

ハート・シェイプド・ワールド

雲の様子が変わってきたような気がする。流れる雲が幾重にも重なって、空が高くなってきました(↓は昨日、一面ひつじに占拠された空。案の定今日は雨が降った)。秋なんだなー。夏の雲がシュークリームだとするなら、秋の雲はミルフィーユってとこだろうか。つい貪欲に食べ物にたとえてしまった。ほら秋だから。正岡子規の、「夏雲は岩の如く、秋雲は砂の如く」のようにはいかないものだのう。
しかし壊れたままのカメラをそろそろなんとかしないと。このブログの写真は、カメラ付き携帯で、道すがらぞんざいに撮ったものをガンガン上げています。まあでも、猫を撮るにもまず交流から(寄るため)っていう不自由さも悪くない気がするな。

Akizora1_1

小さいセレクトショップやアートショップの一角に置いてあるような、新進の作家さん達の手作りっぽいアクセサリーを見るのが好きです。最近、ある女性作家さんの銀のアクセサリーにしみじみ惚れました。そう高価なものではないけど、モチーフにどことない洒脱なユーモアがあって、世界の見方がまーるくやわらかい、そんな感じがする。
そういえば先日、ミュージシャンの中川勝彦が、亡くなる前にハートで構成された猫の絵を描いた(ああ、確かに猫のパーツは)、という事実にはなかなか考えさせられたのだけど、実際のところ世界はぶよぶよしていて、見方次第でハートにもスペードにもなる。

メディアがマスに発するイメージは、多くの場合とてもアグレッシブで強迫的。勝ち組負け組なんてことがいつの頃から言われだしたのかは知らないけれど(それについては金井美恵子が“「二千人の歯医者」と「瀟洒」”という面白いエッセイを書いてる)、マスコミの言う“勝つ”とは、要は「皆さん“勝つ”ためにコレを買いましょう」って、それだけのことだ。

Neko2

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2006.08.25

放射性猫

教えていただいて知ったんですが、前のエントリのウルトラマンはあれ、アディダスのTech-Fitというウェアなんですね。わーん無知。あんなにもぴっちぴちなものなのだろうか。トレーニングの全景はこちら。↓
http://www.stade.fr/docmulti/information/image/image-grand/beauxis_060811_big.jpg


今日の帰り道、どこぞで雨でも降らせてきたのか、お勤め帰りの竜の形に見え…ない?(かなり苦しい)

Kumo7

以前、雨上がりの空の雲に巨大な竜の形の影が浮かび上がっていたことがあって、思わず写真に撮ったけど全然写ってなかった。ああいうものは撮れないものなのね。

背中の毛が立ってるのがお分かりでしょうか、猫の視線の先にはゴールデン・レトリバーがいます。

Nekotan

猫はこのような時、体を相手に対して横に向け、毛を逆立てて自分を大きく見せます。しかし相手はでっかいゴールデンです。耳を伏せ、シャー、という猫の気迫で地面に地割れが走っています。しかしゴールデンが飼い主にがっちりリードをつかまれていると見るや、「フン人間になんか飼われやがって」という挑発的な態度で振り返りながら、「今日のとこはこのへんにしといてやらあ」とソソクサと去っていくのでした。

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2006.05.10

故あってテレビを観ている

Kumo2日本人はもともと「間」の感覚に敏感な民族性だとはと思うけれども、たまに民放の番組の空間恐怖的なセット、ひたすらしゃべり続ける芸能人、窮屈なバストショット、隙間なく充填するBGM、企業CM─などを見ていると、その「間」を恐れるかのような強迫的な空気になんとなくグッタリしてしまい、つまりそんな時にはNHKの自然ドキュメンタリー番組なんかをボーっと眺めたりするわけです。
日頃「クラウチの高さが」「スザルゼヴスキのボリュームが」などと騒いでいますが、要は絶景好きだというだけのことで、ドーム○個分とか、東京タワーがすっぽりとかいう形容が大好きです。世知辛い日常の合間に、壮大な大地の地形とその形成、生き物の生態を考えるのはとても楽しい。というわけで、今週は「プラネットアース」を見ています。

映像のセンスとノウハウはいかにもBBC的なものです。初回の、巨大なスクラムを形成して南極の冬の極寒に耐えるコウテイペンギン(雄)の、とても声をかけられない雰囲気の背中。凄い規模の黙祷のようです。吹雪の中、時々「やってらんねー」「もうマジ勘弁」という表情でポジションをチェンジし、粛々とスクラムの外側に回るペンギンを見ていると、隙あらば順番待ちの列に割り込もうとする霊長類ヒト科のわたしたちが恥ずかしい。いや抜け目ないペンギンもいるのかもしれないけど。
そしてホオジロザメの凄絶なオットセイ捕食、リカオンのインテリジェントでシステマティックな狩りの模様など驚くような映像が続き、さらに合間には、外国人撮影スタッフのプロフェッショナルかつストイックな男の絆に萌えることができるなど、至れり尽くせりと言えます。
皆様の受信料はこのように使われておりますみたいに鼻高々になられるとそれもムカつくんだけど、これはいいよ。

昨日の放送のコウモリのフンの山とゴキの有象無象(ギャー)に関しては、なんとなくやばいヴァイブを感じて反射的に目の焦点をぼかしたため事なきをえましたけど、スタッフがフンとゴキにまみれて撮影した映像も、あそこで思わずチャンネルを変えた視聴者は結構いそうな気がするし、学術的な価値は必ずしも市場の評価に繋がらないという点で、なかなか報われないことの多い仕事であるなあと思う。

余談ながら中華の高級食材、蚊の目玉はまさにこのコウモリのフンから採取されるのであり、アナツバメの巣も含め、「プラネットアース」のこの回は戦慄的な中国食文化ドキュメントとしても楽しめるのではないでしょうか。

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2005.11.21

どんな週末

民放にて久しぶりに「テレバイダー」の金剛地さんのお顔を見ました。しかし私は民放のぬるいバラエティ番組が嫌いだ。
諸星大二郎の妖怪ハンターシリーズの新刊、「魔障ヶ岳」を買ってきました。「妖怪ハンター」といえば、私の諸星体験の原点です。今週はこれでぱらいそさ行く。一緒に買ってきたdeath cab for Cutieがオッ琴線に触れるね、という、そんな日曜の夜。

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2005.11.11

友よフットよ

で、今さらですがPSGのニュースをブログに移してみたんです。サイトの方だとある程度構築的にやることを意識しますが、読んだところからダラダラ上げていくにはブログの形式の方が向いている。正直、ブログはじっくり考える時間が取れない感じが苦手でもあるんですが、しばらくこれでやってみようかと。

ブログのタイトル“Vivement Samedi!”は、引き続きヌーベル・バーグの監督の映画にちなんでつけました。やっぱパリのクラブだからね。PSGは歴史の浅いクラブですが、それはこの街の一方にあるアバンギャルドの気風にもちょっとだけ似合っているような気がして、個人的には好ましいものです。タイトルバナーの画像は、キャップベルトンでのプレシーズン・キャンプの時のもの。後ろの壁面や光線がいかにもスペイン国境に近い町っぽい。
ついでに、いくらなんでもジミすぎたここのブログのタイトルバナーも差し替えました。パリの街角とかのいい写真があればいいんだけどなあ、なんて常々思う。まあ基本的には、デザインはテキストの邪魔にならなければいいんでないかと思います。こんなバナーも試してみたけど、置いてみるとちょっとうるさかった。

toutoyurikago22


サイトのトップページはもう1年以上あれでやってますが、開設当初は2ヶ月単位くらいで改装を繰り返していて、確かに今思い出すと冷や汗が流れるようなシロモノを公開していた頃もありました。じゃあ今はどうなんだという話になるとこれまた微妙です。当時のトップページに使っていた画像を1つ再現してみると、こんな感じでした。(ハズカシイので縮小)

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実は一応、「女は女である」とか、「ピアニストを撃て」とか、あのへんのロシア・アバンギャルドっぽいコラージュの映画ポスターみたいな感じがいいなー、とアコガレたんですけど、いやとんでもない話でした。画像加工なんかできないので、人力で写真を切り張りしてスキャンしています。まあでも、ウドゥントップスだって人力でやってた頃が一番面白かったんだよ、とか、背景の黄色の発色がかえってレトロ?なんて無理矢理自分を納得させていたものです。まあ度胸だよね、サイト運営は。
サイズが大きくて重かったのですぐに取り払ってしまいましたが、なんとなく思い出深いモノではあります。


そんなわけで最近はずっとPSGオフィシャルサイトの画像倉庫をさまよっていまして、何となく、選手のトレーニングウェアや車の赤い色が印象に残っています。湿度や光線、町並みや植生などによって、その土地その土地できれいに見える色は違うものですが、パリはどうなんだろうな。誰かが、東京は黒がきれいに見える街だと言っていた。
ブレッソンの「ラルジャン」の舞台はパリだったか、あの映画に何かの「しるし」のように繰り返し映し出される印象的な青い色は何だったんだろう、と考えることがある。いや、ブレッソンに関してそんなことを考えるのもナンセンスなのかもしれないけれど。部屋の壁、扉、車、店のシェード、パトカーのランプ、封筒、睡眠薬の錠剤、洗濯籠、エプロン、警官たちの制服の色。

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2005.10.03

肉じゃがの味

いつだったか中央線の窓から、よく晴れた空のごく低いところに、ポッポッと等間隔に浮かんだ小さな雲の列が南北に伸びているのを見たことがある。変わった雲だな、と思っていて、後日何気にタクシーの中でツレとそんな話をしていたら、運転手さんが、「多分ねーそれはカンパチ雲」と言う。うっかり「寒八雲」と変換してしまったので、なんとなくちぐはぐな話になってしまったんだけど、それはカンパチでもイワシでもなく「環八雲」、環状八号線の上空に時折発生する、のどかな光景とは裏腹の大気汚染雲らしい。
毎日ラジオをかけながら、いろんな人を乗せてタクシーを走らせている運転手さんは、いろんなことを知っているのだった。そのわりに道を知らないのがちょっと困る。

先日、食料買出しの遠征帰りに乗ったタクシーの運転手さんは、私の大荷物を見て「買い物袋って重いんだよねー」としみじみ言った。これは話の分かるおっさんだと思い話してみると、最近リストラでタクシー会社に転職したということで、今は働きに出ている奥さんと交代で夕食を作っているのだそうだ。それまで台所に入ったこともなかったけれど、男性特有の研究熱心さで、「お父さんの料理は一味違う」と言われるのがモチベーションらしい。
おいしいカレーや肉じゃがの作り方を教えてもらった。鍋に引く油に、肉を買った時についてくるラードを使うのがミソだそうだ。もちろん市販のチューブのラードなどではいけない。

後日、言われたとおりに肉じゃがを作ってみたのだけれど、もともと自分の作るものは油ひかえめなこともあり、それほど劇的な味の違いは感じなかった。というか、家族に「お父さんの肉じゃがはおいしい」と言わせているのは、単に油の違いのせいだけではないとみた、などと、ちょっといいことを言ってみる。

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2004.09.16

帽子の記憶

今となってはそれが夢なのか現実だったのかも判然としないのだけど、母親の話によると、確かにそれはあった。
子供の私は家族と一緒に電車に乗っていた。その時麦藁帽子をかぶっていたのだし、電車の窓は開いていたのだから夏のことだったのだろう。その赤い麦藁帽子は、おそらく私のお気に入りだった。この小旅行のために買ってもらったものだった。だから帰り道の電車の中でもずっとそれをかぶっていて、そしてその帽子は、母親の忠告どおり、山あいの雑木林に入った所で風に飛ばされていってしまったのだった。2歳を過ぎた頃の話だ。

取ってきてくれと泣いて叫んだのを覚えている。乗り換えの駅の売店で、母が新しい帽子を買ってくれるというのを私は拒否したそうだ。そんなわけで、代わりの帽子は私のもとには来なかったから、私はその喪失感をずいぶん後まで引きずることになった。
いつの頃からか自分の記憶には、飛ばされた帽子を拾い上げて、電車に向かって手を振っている男の子と女の子の姿さえ上書きされた。子供の私には、誰の頭に乗ることもなく、草むらでぽつねんとしている赤い帽子がかわいそうで仕方がなかった。

小さな頃のたわいもない体験が、なぜこんなに鮮烈に記憶に残っているのかは分からない。私の手元にあったのはほんのわずかな間だったはずの、その帽子にアップリケされたキャラクターの表情もはっきりと思い出せるし、今でも、あの帽子が頭を離れて飛ばされていく瞬間が、ふとよみがえる時がある。手を振る子供達のイメージに救われるときがある。子供の頃の記憶には、それが楽しいものであれ、なにか物悲しいような、奇妙な感覚が伴っている。

西条八十の詩に、ベストセラー小説に引用されて有名になった、同じような作品があったと記憶している。多分、子供というのはどこかで、「お気に入りの帽子」を失くしてしまうものなのだ。そして心の奥深くに喪失感を抱えたまま成長していくのだろう。


先日、ふと表紙に惹かれて写真集を買った。
乾いた土に轍の跡があるから今は駐車スペースとしてでも使われているのだろう、まばらな枯れ草以外何もない無人の空き地に、門扉だけがぽつんと立っている。画面の半分を占める無表情な空。少し、シュトゥルートやルフといった写真家の、意味や主観を排した風景・建築写真を思わせるところもある。
写っているのは、何の変哲もない現在の日本の風景だ。海岸、工場、団地の庭、錆びたトタンと剥げたペンキ、壁の染み、その湿度、そして唐突に、花。すべてが等価のままただそこに、沈黙している。

しかしこの無人の風景は見慣れた日本の日常のようでもあり、そうでないようでもある。いつか見たはずの記憶、いやそれは錯覚で、単に午睡の夢の中の光景だったのかもしれない。端々に見え隠れする生活の気配も、かえってその曖昧な不在感を際立たせているかのようだ。
私の帽子がどこかで、私が拾いに来るのを待っているとしたら、それはきっとこんな景色の中だろう。

そう、この咲き群れる立葵を、いつかどこかで仰ぎ見たことがある。あの道沿いの集合住宅に、かつて私は住んでいなかっただろうか。棕櫚の葉が影を落とす夏の路地の突き当たりに、何があるかも私は知っている。
私は確かに、あの赤い帽子をかぶってここに立っていたのだ。


“THE SIGN OF LIFE”    写真: 清野賀子  (オシリス)

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2004.01.18

 知的じゃないスポーツ

野心家の仏内相ニコラ・サルコジ氏が最近の訪中時、「相撲は知的なスポーツではない」等々、日本文化に否定的な発言をした、というニュースがありました。
原文記事は読んでいませんが、親日家のシラク大統領に対する皮肉を込めた「政治的発言」だろうということで、メディアが「日本批判」と色めき立つような、さしたる内容のある発言ではないのだけれど、結果的に最近の相撲界に対する的確な批評にはなっています。ただ、相撲はスポーツであると同時に、伝統的に神事という儀式なわけで、儀式はシンプルに「形」を磨きぬいたもので、インテリジェントな神事なんて聞いたことない。

サルコジ内相といえば、先日PSGのグラィユ会長が、リヨン戦でパリサポーターが警官に怪我をさせた件で呼ばれて怒られたばかり。治安問題への取り組みで評価が高く、大統領選出馬も視野に入れているというサルコジ内相ならさもありなんというところ。
かつての仏文化相アンドレ・マルローは来日中に、「インド彫刻はコスモス(宇宙)に、日本美術はナテュール(自然)に相通じる」等、日本文化を鋭く洞察した言葉の数々を残したけれど、この報道で見る限り、サルコジさんの日本文化評は、残念ながらあんまり「知的」じゃないな。

パリのクラブのファンなどしていますが、私は日本の文化には結構誇りを持っていて、(確かに日本社会の現状は誉められたものではないかもしれないけど)、最終的にはそれが自分の拠り所だという考え方です。日記のページに歌川国芳や伊藤若冲の絵をちょっとだけ拝借しているのも、その辺のバランス感覚といったもの。
日本人が常にそうであったように、私も外国の新奇なものはミーハー的に好き。日本の文化は中国を始め外国の文化に刺激を受け、取り込みながら、その風土の中で極めて独自の美的価値を生み出してきたわけです。例えば、隣国の名もない陶工の雑器の中に無上の精神的な美を見出す、そういう美意識。その点ではフランス人も共通した感覚がある気がします。

異文化に対する差別や傲慢は、多くは無知に基づくものだと思う。アンドレ・マルローはフランス文化の代弁者であると同時に異文化の理解者で、そういうスタンスが取れたら理想的だろうな、と思うのだけど。

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2003.12.28

 絶えて賀状のなかりせば

暮れの心はのどけからまし。
最近はさすがに印刷で済ませているけど、以前は毛筆で年賀状を書いていました。しかしこれには、猫という手ごわい障害があるのです。

墨をすっていると、どこからともなく「ナニシテルノ!」という意欲満々な顔でやってきて、ぴったり横に座って身を乗り出して手元をのぞきこんできます。単に筆先がちょいちょい動くのがたまらないのかと思ったのだけど、特に手を出すわけでもないし、とにかくずっと、「ものすごく」、見ている。こっちはそれでもいつ手を出されるかわからないし気が散るし、いたずらに書き損じの山を重ねるだけで、このくそ忙しい年末に、猫の手は貸すと言われても御辞退申し上げたいのは言うまでもないことです。
世の中には玉毛(ズバリ猫の毛)の筆っていうのもあってね、貫之(伝)の高野切は猫の毛で書いてあるんだよネコチャン、なんて意地悪を言いながらの宛名書きは、まあ楽しくないとは言わないけれど。

某直木賞作家の短編を映像にしたとかいうキャットフードのCMがしばらく前に流れていて、執筆中の売れない作家の傍らに座って原稿を読む猫の話が、例によって‘泣かせのテクニック’満載で語られるのだけれど、単に、猫はそういう状況が好きなだけなんだと思う。
新聞を広げると上に猫が乗ってきて読めない(興が乗ると新聞の下にズザーとスライディングしてくる)というのはよく聞く話で、猫にとっては人間が何か1点に集中しているのが面白いのかもしれません。

キュリオシティ・キルド・ザ・キャット(好奇心は猫をも殺す)とはよく言ったもので、実際猫の好奇心というのは、飼い主にとっては時に悩ましいものです。目先の興味にかられた挙句、後先考えずに高い所に登って進退窮まったり、絶対通過不可能な穴に首を突っ込んだりして、ドウシヨウドウシヨウと鳴きわめく猫を救出するのは人間、もっと正確に言えば消防隊の仕事になるわけです。
猫にまつわる様々なニュースを集めた「ニュースになったネコ」という本には、そんな消防隊と猫の濃密な関係を物語る(珍妙な)エピソードが数多く収められていて、猫ばかりでなくイギリス人の気質や動物とのかかわり方を知る上でも面白い本です。フットボールネタでは、リーズ・ユナイテッドのジョン・ピアソン選手は愛猫の親権(?)を勝ち取れるのか?なんて話も。

マーティン・ルイス著 「ニュースになったネコ」 (ちくま文庫)

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2003.09.23

ヒマラヤの青い芥子

もちろん物事に根拠のない過剰な思い込みは禁物なのだけれど、最近なんとなく「フーン…」という興醒めな気分になったのは、ヒマラヤの高地に咲き、どういうわけかそのヒマラヤにしか咲かないと思い込んでいた“幻の”青いケシの花が、ここ日本の庭先でもフツーに咲いているということだった。

まあ、“フツー”というのには語弊があって、寒冷な場所でなければそれなりに栽培は大変らしいけれど、聞いたところだと、町のホームセンターの園芸コーナーといった、拍子抜けがするほど日常的なスペースでも苗は手に入る、ということらしい。幻どころの話ではなかった。

そもそもは先日、作家丸山健二が長野の自宅の作庭を撮影した写真集を見ていたときのことで、その本は、同じ作家の同じテーマのエッセイを読んでいるところだと言ったら、たまたま写真集を持っていた人からじゃあこれ読んでしまったからあげるよということでもらったものなのだけれど、その中程のページに、見覚えのある優美な青い花弁の花を見つけたというわけなのだった。

「卑しくも芸術に携わる者はすべからく異端の存在であるべし。別言すれば、反逆の徒たるべし」なんてことを今時迷いなく著作に書いてしまう、「孤高の」作家丸山健二が、自邸の庭に植えそうな花ではある。この青いケシの花(メコノプシス、写真のものはおそらくホリデュラ)は、ヒマラヤを撮影した写真の中でも時々見かけたけれど、チベットの荒涼とした大地と強烈な紫外線と希薄な空気のもとで見た幻覚のような原色の青と、この写真集の花が同じものだとは即座には気づかなかった。そもそも見たことがあるのは、4,000メートルの高地の荒れた岩陰に張りつくように咲くケシの花だったから、安曇野の庭で丹精され、すんなりと茎を伸ばした姿とは、その印象は別物である。

もっとも庭には庭のコンセプトがあるので、野生種の持つ厳しさはその中では単に夾雑なノイズにすぎないのかもしれないし、作家の家から臨む借景は、カイラスの威容などではなくあくまでも北アルプスなのだから、それはそれでまったく問題はないのだけれど・・・

もちろん、このせちがらい世の中にそんな浅はかな勘違いをしていた自分が悪い。しかし記憶をたどってみると、この花に抱いていたスペシャルなイメージは、どうも化粧品メーカーの香水の販促キャンペーンによって刷り込まれたものらしいということに思い至って、非常に情けない気分になったのだった。そう言えば、伊勢丹デパートのカウンターに、イソイソと香水のサンプルをもらいに行ったことがあるような気もする・・・結局、ヒマラヤの神秘から一番遠かったのは自分だったのである。
丸山健二に「女と、女に近い男という奴は」なんてマッチョな発言をされたとしても、これでは何も言えない。

 丸山健二著・作庭・写真 「ひもとく花」 (新潮社)
 丸山健二著 「安曇野の白い庭」 (新潮社)

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