思えばスタッド・フランセのカレンダーのメイキング映像は、カメラを向けられノセられているうちに、屈強の男達が次第に「女」になっていく興味深いドキュメントであった。08年版のカレンダーは一部しか目にしてませんが、スティーヴン・クラインはキッチリ仕事をしているようだ。ラグビーの存在証明は申し訳程度の楕円のボールのみ。ラグビー選手はモデルさんや芸能人といった「プロデュースされた」被写体ではないので、見てて「スクレラ何やってんの?」みたいな気はやっぱりする。
クラインの写真というと、フェティッシュというか何というのか、プラスティネイトされた人体(まあ、つまり死体だ)がいささか非現実的に配置された一連のポストプロダクト写真を私はまず思い出すんだけれど※、カレンダーの中でそのテのシュミがわりあい出てるのがディミトリの写真じゃないかと思う。
まあクラインもファイン・アート志向の人なので、あの1列に特化しきった肉体を前に「体すげェー」という感奮のまま撮ってしまったんではアーティストとしてのプライドに抵触する(であろう)、が、なにぶんこれは健全なるラグビークラブのチャリティカレンダーだ。で、仕上がりが上の画像です。鏡を使った空間のトリックや人体の雰囲気はどこかベルギー・シュルレアリスムを思わせるかもしれないけれど、見ようによっては猟奇物件にも猥雑なシロモノにも見える。楕円のフォルムの連続、見る側の視点は武装された肉体の最も無防備な部分に誘導されるように作りこまれている。さりげに結構サディスティックな(被写体に対して)写真じゃないかと思った。果たしてクラインは彼のカラダに勝ったのかどうか。
クラインのテイストが地なのかある程度狙っているのかは分からないけれど、実際に死と性の暗喩は広告の二大常套手段なんであり、ファッション写真においてはヘルムート・ニュートン以来の伝統だということを考え合わせれば、彼はオーソドックスな写真家と言えるのかもしれない。MTV出身のビデオ・アーティストが撮った映画みたいな写真。
(※ 実際にダミアン・ハーストのホルマリン漬け動物シリーズを想起させる作品なんかがある…ということはあれはアレキサンダー・マックィーンとの仕事か)
【マックス・グアジニ“Dieux du Stade”を語る】
Q: 選手の33枚の写真は昨年よりソフトですね。それは意図的な選択ですか?
「原点回帰と言われるかもしれませんね。写真は演出においてよりクラシックです。選手達は私に古代ギリシアの神々を思い起こさせます。我々は彼らの肉体を引き立たせるために、カラーを採用してモノクロを捨てる選択をした。鎖は08年版カレンダーの主たるテーマです。それは選手のボールへの愛着、ひいてはラグビーへの愛着を象徴しているのです」
Q: 誰が選手達を撮影したのですか?
「写真はルーヴシエンヌにあるデュ・バリー夫人の音楽堂のネオ・クラシックなロケーションで撮影されました。撮ったのはアメリカのフォトグラファー、スティーヴン・クライン。世界で5本の指に入る写真家です。カルバン・クラインとドルチェ&ガッバーナのキャンペーンは彼の仕事。マドンナやベッカム夫妻の写真もまた彼です。私が得た最初の反応はとても好意的なものでした」
Q: 今年はカレンダーにラグビー選手しかいませんね。
「おっしゃるとおり、フランス、イタリア、アルゼンチンの選手達です。彼らは多くはドミニシ、スクレラ、クレール、ポワトルノー、パリセ、ベルガマスコ兄弟やコルレトといった代表選手です」
Q: 彼らが選ばれた理由は?
「もちろんその肉体美とスポーツのクオリティに応じて選ばれました。毎年、大勢のエージェントが彼らの選手達をカレンダーに載せようとコンタクトしてくるんですよ。我々はたくさんの申し込みと志願者の写真を受け取っています」
Q: 選手達にはお金が支払われていますか?
「参加と引き換えに選手達は約4,000~5,000ユーロを受け取っています。それは肖像権の譲渡に当たるものです」
Q: “Dieux du Stade”は8年前から、スタッド・フランセの型にとらわれないイメージに貢献していますね。
「ええまったく。カレンダーはクラブのコミュニケーションの一環です。カレンダーはラグビーに関心がなかった一般の人々の目に触れながら、その人気に貢献してきました。我々はそれがラグビー選手のイメージを変えたことにも気づいています。忘れてはいけません、彼らは以前はよく馬みたいに思われていたんですよ。今では連中はグラマラスになりました」