2012.12.05

【写真】

鑑賞する側の立場としては、ストイックで静謐な写真が好きだ。それが高度であるなら、何より豊穣な表現になりうる。そこに写真家が美意識に基づいて厳しく切り捨てたものの記録を読み取ることができれば。


何年も前の話になるけれど、ある日本の女性写真家の作品がとても気に入って、これほど自分の意識のどこか奥深い部分に触れてくる写真はないと思った。
日本のごくありふれた風景。しかし見慣れたようで、どこにも実在しない風景のようでもあった。無人の…それは静謐というよりは沈黙だった。

それからしばらく後になって、そのひとが亡くなっていたことを偶然知った。自殺だったという話だけれどよく分からない。
それは考えさせられる事実だった。以前彼女の写真集に触れて書いたエントリを読み直すと、自分は明らかに写真の中に死の気配を感じて、そこに共鳴していた。

あの文は思い出といったセンチメンタリズムではなく、圧倒的な喪失についての話だ。他人から、この人は実は少し頭がおかしいんじゃないかと思われるようなものが書きたくて書いた。
私が子供の頃になくした、あの懐かしい麦藁帽をまた拾い上げることがあるとしたら(まるで彼女の写真のような風景の中で)、それは私が死んだ時に他ならないのだから。

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2012.11.05

【写真】

そんなことをしている間に、これも以前のエントリの、松江泰治の“JP-22”が撮られた地点をマップ検索の航空写真で確認してみようと思っていたことを思い出したのです。
えーと富士川河口…ここ?ここでいいの?なんか違うな…

Jp22

そして、「JP-22は今も手法として有効なのかしら」などと一瞬でも考えたことを、猛烈に、反省した。

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【写真、サッカー】

(そういえば前にオノデラさんの『関節に気をつけろ!』について書いたことがあったはずだけど、どこだっけ?と探したら、閉鎖した私のサッカーサイトの日記だった。個人的記録代わりに再掲します)


国内で展覧会が開催中のパリ在住の写真家オノデラユキは、最近作『関節に気をつけろ!』で、フットボールのTV中継から抜き出したイメージの、選手の顔やユニフォームをぼかしたり、ボールを増やしたり消したりして、スポーツ写真の「決定的瞬間」を裏切り、フットボールという制度をめぐる観戦の視線を宙吊りにしてみせるのだけど、スパーズ戦におけるマンUのキャロル大将の歴史的ファンブル画像を見て、どこかで見たような、と思ってたのがこの作品だったってことを思い出した。

Carroll_2_2

フットボールの視線と制度を裏切り続けるアヴァンギャルドGK、ロイ・キャロル。なんちて。
ただまあ、キャロルのはパッと見、ふつうの"ゴールシーン"の写真なんだよね。
(注:主審がこれを見逃してノーゴールとした。プレミアリーグでビデオ判定導入論争を巻き起こした一件)

スポーツのコンテクストから切り離された選手達の不安定で曖昧なポーズは、なんとなく不穏な気配を漂わせて、なかなか刺激的だしこういうのは好きだけど、モダンサッカーを取り巻く「視線」は写真家が考えているよりもっと複雑なものなのかもしれないし、フットボールは時に自らその「制度」を壊す。
そんなわけで、あくまでも一サッカーファンの立場から見ると、「関節に気をつけろ!」のアプローチが本当に有効なのかはわからない。
(2005年3月8日)

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2010.06.16

Secret Fauna

いくつか前のエントリの、まるで頭から角が生えているように見えるセバスティアンの写真は、まさにこれ!というイメージ。色合いとか、ちょっとジョアン・フォンクーベルタの撮る怪物的な"新種の動物"みたいでもあるのね。

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2010.04.10

【写真】 報道写真で思い出したこと

雑誌のごく小さな図版で見ただけなので勘違いの可能性が大きいけれど、キャパのスペイン内戦時の報道写真で、樹上で電話線を張っていて狙撃された兵士の写真に、奇妙な違和感を覚えたことがある。
キャパの写真をめぐる絶えないやらせ論争は、報道写真の持つある種の"饒舌さ"にもよるんじゃないだろうか。リー・ミラーの戦争写真は、そういったものとはちょっと違うところにあったような気がする。

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2009.09.25

【ラグビー、サッカー、写真】 カレンダーもう少し

天気良し!洗濯機いっぱいの洗い物の後で、中にティッシュが入っていたときの哀しみを誰に伝えればいいのだろう。

それはいいとして、もうここを見てくださるPSGファンの方はいないかもしれないけど、とりあえずスタッド・フランセのカレンダーにクレマン出てるよ、と言っとく。カッコよかったスよ。
トム・エヴァンスは結構頑張ってたのでwファンは買って損はないと思う。アルヘンファンの方には、なんかみんなパンツみたいでしたよという残念なお知らせをしておきます。

昨年のピーター・リンドバーグは、大御所だけどさすがにあまりコンテンポラリーではない気がしたし、その前のスティーヴン・クラインはアート寄りでちょっと癖があったけれど(なんかプラスティネーションみたいだったでしょ)、今回のトニー・デュランはスポーツカレンダーのコマーシャル・フォトとしては、そこそこバランスのいい仕事をしてると思いました。

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2009.09.24

【日記、写真、闘牛】 一番美しい物語

闘牛のニュースサイトのギャラリー見ているときに、「これは女性フォトグラファーの撮った写真ではないかな」、と感じた写真がありました。
命をかけた世界に生きる、生身の人間としての闘牛士達に対する愛おしみが、そこにはあるように思った。

観客席の日常と、闘牛の世界とを隔てるタブラ(防壁)に額を押し当て、恐れと戦っているのか集中しているのか、祈りを捧げているのか、うつむき、空を仰ぐトレロの表情を、彼女はしばしばとらえています。

そうだった。私もあるサッカー選手の、キックオフの前に、空に向かって祈りを捧げる姿を見るのが好きでした。彼のプレーや言葉からはずいぶんたくさんのものをもらったし、だから、彼の一番美しい物語を書き記しておきたくてブログを作ったりもした。

特に印象に残った写真。タブラの向こうに立つ闘牛士たち、でもピントは手前の小さなバラの花束に合っている。
それははかない生の象徴にも思えるけれど、彼女はアレーヌに立つ彼らに、ささやかな花を捧げるような気持ちで彼らの一瞬を一番美しく撮り続けているのではなかろうか。
そんなふうにやっていくことができたなら。

http://palomaaguilar.com/

08madrid21mayo

08madrid21mayo2
(photo: burladero.com)

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2009.07.23

ミクロス・ガール?

ツール・ド・フランスの第8ステージの写真かな。これ、ジオラマに見える!

http://www.lequipemag.fr/EquipeMag/En_Images/PORTFOLIO_les-plus-belles-photos-de-sport_4.html


(ミニチュア風写真についてはこちらのエントリでも触れてます)

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2007.09.26

 MURDERED BY THE CAMERA

Dds2008dimitri思えばスタッド・フランセのカレンダーのメイキング映像は、カメラを向けられノセられているうちに、屈強の男達が次第に「女」になっていく興味深いドキュメントであった。08年版のカレンダーは一部しか目にしてませんが、スティーヴン・クラインはキッチリ仕事をしているようだ。ラグビーの存在証明は申し訳程度の楕円のボールのみ。ラグビー選手はモデルさんや芸能人といった「プロデュースされた」被写体ではないので、見てて「スクレラ何やってんの?」みたいな気はやっぱりする。

クラインの写真というと、フェティッシュというか何というのか、プラスティネイトされた人体(まあ、つまり死体だ)がいささか非現実的に配置された一連のポストプロダクト写真を私はまず思い出すんだけれど※、カレンダーの中でそのテのシュミがわりあい出てるのがディミトリの写真じゃないかと思う。
まあクラインもファイン・アート志向の人なので、あの1列に特化しきった肉体を前に「体すげェー」という感奮のまま撮ってしまったんではアーティストとしてのプライドに抵触する(であろう)、が、なにぶんこれは健全なるラグビークラブのチャリティカレンダーだ。で、仕上がりが上の画像です。鏡を使った空間のトリックや人体の雰囲気はどこかベルギー・シュルレアリスムを思わせるかもしれないけれど、見ようによっては猟奇物件にも猥雑なシロモノにも見える。楕円のフォルムの連続、見る側の視点は武装された肉体の最も無防備な部分に誘導されるように作りこまれている。さりげに結構サディスティックな(被写体に対して)写真じゃないかと思った。果たしてクラインは彼のカラダに勝ったのかどうか。

クラインのテイストが地なのかある程度狙っているのかは分からないけれど、実際に死と性の暗喩は広告の二大常套手段なんであり、ファッション写真においてはヘルムート・ニュートン以来の伝統だということを考え合わせれば、彼はオーソドックスな写真家と言えるのかもしれない。MTV出身のビデオ・アーティストが撮った映画みたいな写真。

(※ 実際にダミアン・ハーストのホルマリン漬け動物シリーズを想起させる作品なんかがある…ということはあれはアレキサンダー・マックィーンとの仕事か)


【マックス・グアジニ“Dieux du Stade”を語る】

Q: 選手の33枚の写真は昨年よりソフトですね。それは意図的な選択ですか?
「原点回帰と言われるかもしれませんね。写真は演出においてよりクラシックです。選手達は私に古代ギリシアの神々を思い起こさせます。我々は彼らの肉体を引き立たせるために、カラーを採用してモノクロを捨てる選択をした。鎖は08年版カレンダーの主たるテーマです。それは選手のボールへの愛着、ひいてはラグビーへの愛着を象徴しているのです」

Q: 誰が選手達を撮影したのですか?
「写真はルーヴシエンヌにあるデュ・バリー夫人の音楽堂のネオ・クラシックなロケーションで撮影されました。撮ったのはアメリカのフォトグラファー、スティーヴン・クライン。世界で5本の指に入る写真家です。カルバン・クラインとドルチェ&ガッバーナのキャンペーンは彼の仕事。マドンナやベッカム夫妻の写真もまた彼です。私が得た最初の反応はとても好意的なものでした」

Q: 今年はカレンダーにラグビー選手しかいませんね。
「おっしゃるとおり、フランス、イタリア、アルゼンチンの選手達です。彼らは多くはドミニシ、スクレラ、クレール、ポワトルノー、パリセ、ベルガマスコ兄弟やコルレトといった代表選手です」

Q: 彼らが選ばれた理由は?
「もちろんその肉体美とスポーツのクオリティに応じて選ばれました。毎年、大勢のエージェントが彼らの選手達をカレンダーに載せようとコンタクトしてくるんですよ。我々はたくさんの申し込みと志願者の写真を受け取っています」

Q: 選手達にはお金が支払われていますか?
「参加と引き換えに選手達は約4,000~5,000ユーロを受け取っています。それは肖像権の譲渡に当たるものです」

Q: “Dieux du Stade”は8年前から、スタッド・フランセの型にとらわれないイメージに貢献していますね。
「ええまったく。カレンダーはクラブのコミュニケーションの一環です。カレンダーはラグビーに関心がなかった一般の人々の目に触れながら、その人気に貢献してきました。我々はそれがラグビー選手のイメージを変えたことにも気づいています。忘れてはいけません、彼らは以前はよく馬みたいに思われていたんですよ。今では連中はグラマラスになりました」

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2006.10.06

ライク・ア・ローリング・ストーン

Weber2いよいよ14日はフランスのラグビーファンのお楽しみ、スタッド・フランセ・パリ対ビアリッツ・オランピック・ペイ・バスク@スタッド・ドゥ・フランス。今季序盤はトゥールーズと共にいまひとつパッとしないビアリッツですが、ここはひとつ本気を見せたいところ。ターンオーバーを採用しているスタッド・フランセも、ほぼベストメンバーで臨むんでないかな。クァー見たい。
ガルティエは最近ポジションもちょこちょこいじっていて、なぜか若手フッカーのKayser君が3列目をやらされているんだけど、ワタクシ的には魅力的なオプションだ…ディミトリがアレなら彼が投げればいいじゃないすか!

この試合のチケットは9割がた売れている模様で、グアジニ会長によれば、今季はカラオケはやらないけど(ゴスペルが入るらしい)、またお客さんがびっくりするような趣向を用意しておりますよ、とのこと。
たぶんグアジニのモットーは「転石苔むさず」というやつじゃないかと思うんだけど、先日発売されたカレンダーについて、あちこちで「これはエロスかポルノか」という今さらな議論が交わされているのは、もしかするとファンの間にも、走り続けるスタッド・フランセに「彼らはどこに行くんだろう」という漠然とした思いがあるのかもしれません。


そのカレンダーですけど、発売されてみたらやっぱり公式サイトに出た以上に露出がハンパでなかった。「この写真は好きじゃない。わいせつで子供には見せられないよ」という男性もいれば、「それは大げさ、きれいな写真だと思うわ」、「もしこれが女性のヌードだったら、スキャンダルだと騒がれたかしら?」という女性もいるし、まあ、議論好きが多いフランス人に、格好のネタを提供したという点では成功なのかも。
メールヌード・フォトの分野は男性が男性をホモセクシュアル的な視点で撮ったものが多いけど、思うに、女性とっては「当事者でない」という逃げ道があって、意外と抵抗が少なかったりするんじゃないのかな。

「あー見えちゃってるのねー」っていうのはあるけど、それがすなわちエロティシズムかわいせつかという話になると、ちょっと違うような気がする…つまり、基本的にこれはコマーシャル・フォトに氾濫する性的イメージの延長線上で撮られていて、挑発的ではあるけどどちらかといえばスタイリッシュな、まあだから、商業用の「カレンダーとしては」これでいいわけ。すでにラグビーのカレンダーとはいえない感じだけれども。
ヴィヴァンコはファッション写真的なレトリックは巧いし、バイヨンヌのアルヘンティーナJuan Martin Berberianの、男性下着のCMみたいなモードっぽい写真は、やっぱこういうのが本領かなって気がする。


上の画像はカレンダーとは関係なく、89年のKnopf版ブルース・ウェーバーの写真集の1頁。単なる持ち物自慢ですッ(いやらしい)。このテの写真もかわりばえのしない世界といえばそうなのよね。

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