2015.08.07

どちらかというと私はアート・オリエンテッドな価値観の人間で、言い換えればそれは「無駄なことに命をかける」ということである。
「無駄」は見つけしだい徹底的に殲滅すべしという向きとは必ずしも見方は同じではないし、無駄を排するなら本来、切り分けるにはメスを扱うような繊細さ慎重さがあってしかるべきではないかと思う。自分に見えているものが世界のすべてではないから。


どこぞの国立スタジアムの建設案をめぐる騒動で、私が知りたかったのは「まともな」建築関係者その他の「多方面な」専門的意見であって、ろくな知識もないメディアの迎合的な煽り記事ではなかったのだけれど、現状もはや患部はぐちゃぐちゃの状態と言ってよさそう。
思い出すのはパリ市の新スタッド・ジャン=ブアン建設をめぐる、長いゴタゴタのことである。当時のスタッド・フランセ会長マックスがドラノエ前市長のオトモダチだったこともあり、建設計画は市の財政がどうこうよりもむしろ、分かりやすく政争の具になった感があった。

そんなこんなで、新ジャン=ブアンは当初の計画から1年ほど遅れて2013年に落成したのだけれど、外装を見て、「設計はあのマルセイユの活性炭の建築家かな」と思ったらそうだった。
Rudy Ricciotti は近年アルルの闘牛フェリアのアート・プロデュースを手がけたりして、私にはなじみ深い建築家。

外壁が繊維に覆われたかのような外観。規模が小さい(2万席)こともあるけれど、パルク・デ・プランスの隣に並び立ってもことさらに圧迫感を与えない、周辺に配慮したデザインになっており、ソーラーパネルや雨水の散水利用等々も含め、イマドキのエコとアーティスティックなデザインの融合が重要コンセプトになっているようだ。
(もちろん国を代表するような施設とは規模も性格も違うので、両者を比較するつもりはないですが)


新スタジアム効果なのかどうなのか、2014-15シーズンのTop14は、まさかのスタッド・フランセが8年ぶりの優勝を果たした。ラシン、トゥーロン、クレルモンというリッチクラブを破って。近年は若手を多く起用する方針のスタッド・フランセが結果を出したのは、悪くない話じゃなかろうか。
昨季はサッカーでPSGが国内3冠、ハンドボールでも優勝したそうで、パリのスポーツファンにはいいシーズンだったことと思われる。

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2012.11.11

【ラグビー、アート】

起きられませんでした_| ̄|○

それはそれとして、マルクシで撮影したクレールの写真(http://instagr.am/p/RmtOwDyKSP)は、地理的に考えてもたとえばバルビゾン派の風景画などを想起すべきところなのだろうけど、「あれに似てる」と思ったのがデュシャンの遺作だったというのは…ちょっとジオラマっぽい(本城じゃなくて、杉本)補正のせいじゃないかと思うんだ。

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2012.06.02

【映像、アート、フランス闘牛】 10年と、10日間

"10 ans et 10 jours" (vimeo)


─子供の頃、ホセリートを間近で見た。それからリンコンや、エスパルタコ…。僕はすごく内気だった。ベジエのクアドリージャのパティオの片隅から、僕の正面に立つホセリートの姿をしげしげと見た。その真剣さ。首の傷跡…。僕は心動かされ、彼らのようになりたいと思った─


正闘牛士昇級10周年の2010年8月。闘牛場の通路で入場を待つセバスティアン・カステラの集中の表情を、たんたんととらえたオープニング。
彼の友人、アーティストのシルヴァン・フレイスが、故郷ベジエのフェリアからビルバオまで、セバスティアンとクアドリージャを追った10日間…約19分のモノクローム映像です。

フレイスはセバスティアンと同郷の出身で、主にペインティング(ちょっと、リヒターを思わせるような)のアーティスト。同じセビージャに住み、路上の壁に闘牛士のポートレートをステンシルするストリートアート・プロジェクトなども継続している。
一見して明らかに、専門の映像作家(のテクニカルな作為性)とはアプローチの仕方が違います。


オープニングの幼少時の記憶は唐突に断ち切られ、余計な説明も物語もなく、カメラはただ闘牛に臨むセバスティアンを追う。通路で、カジェホンで。そして寡黙な映像のハイライトは、12分30秒頃から始まるムレタの場。(これナイン・インチ・ネイルズの"Ghosts"ですね)
最もフレイスの個性が出た、重く息詰るようなスローの、幾分死の匂いのする…それは芸術における賛辞、つまり死を描くことは生を描くことでもあるから。

繰り返し繰り返し角の間に立ち、牛に近づこうとする。彼が最高の闘牛をする時は、彼と牛は得体の知れない1つの生きもののように見える。
伝統的な闘牛界ではエトランジェにすぎなかったフランス人のセバスティアンは、デビューした頃、注目をひくためにこのような危険な技を濫用したといいます。リベラシオンの名物闘牛コラムのライター、ジャック・デュランは、それを彼の唯一の欠点だと言った。しかし同様に、彼の長所はその恐るべきストイシズムだと。痛みや恐怖にまったく頓着していないようにさえ見える、謎めいた無関心…


画面が暗転し、クアドリージャの1人1人に感謝が捧げられ、バンデリジェロのアンベルの歌が始まり、映像は生の世界に戻ってきます。彼を支えるプロフェッショナル達の歌と手拍子をバックに、セバスティアンのファエナのラストシークエンス。
確かに闘牛を知るアーティストの撮ったものだと思う。ストイックに、刻印された一瞬の生とそのかたち。ただ「美と記憶の要請」に従って。

「私に語りかけるものは、フィロソフィックなアプローチだ。ホセ・トマスやセバスティアン・カステラのようなトレロの」(シルヴァン・フレイス)

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2011.01.14

【美術、本、石】 絵のある石と妄想と

Toscanapn私の子供時代の採集癖はもちろん、何もない田舎の育ちだったことに由来するものなのでして、当時遊ぶものは自分で探すしかなかったのです。

川流れの石英を拾ったり、日常的に絶好の発掘ポイントは、側溝をさらった泥がカチカチに固まった小山でした。傘の先で突き崩すと、ビー玉や研磨工場のメノウ屑水晶屑が出てくることがある。(たまに硬貨が)
今思えばいい感じの紅十勝などもありましたが、まあ母に捨てられたのだろう…

天井の木目や空の雲に何かの形を探すように、石の形や模様を何かに見立てるのはなかなか楽しい遊びと言えます。
その後、バルトルシャイティスやカイヨワやその紹介者である澁澤龍彦の「絵のある石」についての著作が、なんとなく私に好きモノが数寄者に昇華したかのような錯覚を抱かせてしまったのは事実であり、今に至るのであります。


最近思うのは、一見してはっきり何かに見えるような具象系石は、面白いという以上の感興をそそられることが少なく、意外と飽きが早いということでしょうか。想像を働かせる余地が少ないということもあるのかもしれません。
フィレンツェ産の風景石、澁澤龍彦書くところの"トスカナ石"にはずっとあこがれがあったのだけど、実際に手にしてみて納得したら、それほどの執着はなくなった。

澁澤さんの収集はそれほど専門的なものじゃなく、あのかたの感性と美意識に基づいたもののようで、『ドラコニア・ワールド』(集英社新書)に掲載されているコレクションの中の、退色したメノウのスライスは染めだったのかなと思うし、バグダッドの琥珀のネックレスはどうも練り琥珀に見える。

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Cdf1pnドイツは伝統的に鉱物収集趣味に一定の権威があるお国柄らしく、文豪ゲーテが自然科学者でもあり各地の鉱物を集めて研究をしていたのは知られたところです。
メノウ収集家も多いそうで、私にもお気に入りの産地がいくつかあります。ドイツ人がメノウの不安な縞模様や色調を愛好するのは、なんとなく分かるような気がする。

ところで今週ちょっと細かいところを確認したくて、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの画集を購入しました。というのは、私にはどうも彼の作品には少し鉱物的な感触があるような気がする…時に模様石の上にでも彩色したかのように見えるのです。17世紀に流行したような。

このちょっぴりデンドリティックな作品は、ゾルンホーフェン産のしのぶ石とか…

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2011.01.13

【美術】 画集と思い出

Rvaropn池袋にセゾン美術館があった頃の話は前にも書いた気がするけれど、まあ現代美術の展覧会はそれほど人はいないし、散歩がてら出かけて、駅の雑踏の真上でいっとき非日常を楽しんだ後、地下のアール・ヴィヴァンでアートブックを物色したりするのが好きでした。

当時は洋書もそれなりにお高かったので、ビンボ学生には厳しかったけれど、その頃買った画集や写真集は今でも大事にしている。
なにげに平積みのレメディオス・バロの画集を開いたときのオオッという感じは今でも覚えてる。

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2010.12.07

【芸術】 連想リレー(3) 乳と蜜の流れる時間

Wolfgangpnゴーニックからリヒター、リヒターからフェルメール…
前回は1年以上前だった。間あきすぎだろっていう。


フェルメールの絵については、難しいことを言おうと思えばいくらでも言えるかもしれないけれど(そういう"余白"の多い絵だ)、ゲイジュツ方面にはさほど興味のないオットが、(いくらかの郷愁を込めて)あーいいね、あの台所の女の人の…と返してくるような、一種普遍的な時間が流れているところがいいと思う。

そう、台所の女の人の。
『牛乳を注ぐ女』は、パン籠やミルクといったディティールにいくぶんのキリスト教的な暗示を読み取ることも可能かもしれないけれど、日常の無意識に繰り返される行為が、ふと儀式のような象徴性をたたえる瞬間とも言えるかもしれない。

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花粉や蜜ろうを使った作品や、純白の大理石板の上に牛乳を満たしたインスタレーションでよく知られる、ヴォルフガング・ライプというドイツのアーティストがいる。

作品はごくミニマル、しかし床に四角形に蒔かれた花粉の輪郭はあいまいに広がり、光は粒子の上で柔らかく散乱する。
ミルクは時間と共に変質し、もし指先でなぞってみれば、その滑らかな石の表面と見えたものはたちまちさざ波立って形を変えるだろう。繊細で複雑な単純なのだ。

同時にそこには、南ドイツの草原で花々をはたきながら花粉を集める芸術家自身のイメージ、あるいは展覧会期中、大理石に毎日新鮮なミルクを注ぎ、少しずつ指先で伸ばしながら、硬質な表面を豊かな生命の白で満たしていく…神に供物を捧げる儀式のような行為のイメージが内在している。


私は特定の宗教を持ってはいないし、あまり宗教的な人間でもないけれど、それでも私は何かを捧げるという行為、美しく厳かな祈りのイメージが好きだ。

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2010.06.16

Secret Fauna

いくつか前のエントリの、まるで頭から角が生えているように見えるセバスティアンの写真は、まさにこれ!というイメージ。色合いとか、ちょっとジョアン・フォンクーベルタの撮る怪物的な"新種の動物"みたいでもあるのね。

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2010.06.14

ところで私はユニ○ロのポロのCMがロバート・ロンゴの"Men in the Cities"にアレすぎやしないかっていう見方を捨てたわけじゃないよ。

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【音楽】 NY連想の旅、再び (The Golden Palominos)

PalominosclipThe Golden Palominos - Boy (Go)

ありがたいことに、ゴールデン・パロミノスの"Boy (Go)"のビデオをYouTubeに上げ直してくれた人がいる。
この曲のプロモーションビデオについてはかなり前に、"連想のNYシーン"というエントリの中で触れたことがあるけれど、これを撮ったのが他ならぬロバート・ロンゴだってことを最近知った。稲妻、炎、波、回転するマシン…ああ、なんで気がつかなかったんだろうな、"Machines in Love"、"Tongue to the Heart"…ロンゴのモチーフのモザイクじゃない。

一時期髪をブリーチしてた頃の、若き日のマイケル・スタイプ。煙草をくわえたアントン・フィア。くるくる回るシド・ストロウ。機材の向こうからのぞくカーラ・ブレイの顔。クリス・ステイミーの横顔…
スタイプのボーカルとリチャード・トンプソンのギターの呼応が印象的な、好きな曲です。


ところでスフィアンの"BQE"の映像作品を見たとき、まず最初に思い出したのはこのパロミノスのビデオでした。そういえば、"BQE"の3分割された画面は、ロンゴのインスタレーションを想起させなくもない。
多少の影響があっても不思議はないかも、同じNYブルックリンのアートシーンにいるんだし。


マシンに重なる恋人たち。"Machines in Love"そのまんまだった…

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2010.02.09

【芸術】 今日はなんの日

Richter_2Googleのトップページが漱石の誕生日仕様になっているけれど、残念ながら猫がブチ猫である。

2月9日、現代美術にもっとも影響力を持つドイツの画家、ゲルハルト・リヒターの78歳の誕生日です。好きなんだ。


─我々を育んできた芸術と精神の世界はもっとも重要な世界だ。それは何十年間にわたる住まいであり世界なのだ。この世界のアーティスト、音楽家、詩人、哲学者、学者の名前を我々は知っている。彼らの作品と人生を知っている。政治家でも支配者でもなく、彼らこそ人類史だ。
そのほかの人間については、ほとんど名も知られていないし、なにか記憶として残っている名前があるとしても、それはもっとも恐ろしい記憶である。なぜなら、支配者がとにかく歴史になにか痕跡を残そうと思ったら、恐怖をもってするほかないからだ。カフカと皇帝ヴィルヘルム二世、この二人ほどかけ離れた人間はいない。─

(ゲルハルト・リヒター 写真論/絵画論)

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