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2014.07.01

(再掲)ヴァヒド・ハリルホジッチ、ボスニア内戦の体験を語る

結構前に訳してサイトに載せていたヴァヒド・ハリロジッチ(ハリルホジッチ)のインタビューを掘り起こす。2004年、10年前のだねー。ボスニアの戦乱の体験など。
内戦が始まると、彼はまず妻子だけをパリに送り出し、自分はしばらくモスタルに留まってそこで殺戮の様を目の当たりにした。それでも現地の人の言によれば、彼は早い時期に出国したからまだましな方なのだった。

話せば長くなるからしないけど、ヴァヒドがPSGを指揮しての2年目は、一部選手との確執やジャーナリストとの関係悪化もあって、彼は「独裁者」と呼ばれて批判されたりしたものだった。でもインタビューを読むと、彼は自分をそう呼んだ誰よりもファシズムを嫌悪していたのが分かる。まあ、ちょっぴり自意識過剰なところはあったけど、複雑で面白い人だった。

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-あなたは90年代初めの内戦の間、ボスニアにいた。あの戦乱はあなたの性格を強くした?

「もちろんだよ。42年間、私はほとんど非現実的な人生を歩んできた。学校では一番よくできる生徒だったし、フットボーラーとしても、私は母国で一番だった。23歳で初めてプロ契約を結び、代表選手となって、市民は私にカフェ・バーを一軒贈ってくれた。大金を稼いで、すべては順調だった。それからあの戦争だ。
今私は、どうして自分がまだ生きているのか分からない。ファシズムというものがよく分かったよ。人類が第二次世界大戦で体験したこと、私はそれをこの目で見たんだ。私は虐殺を目撃し、人々を助けた。彼らは姓が違うという理由で殺しあっていた。ある日、4人のファシストが友人の母親を殺そうとした。私はカラシニコフの銃口の先に割って入って彼女を助けたんだ。

内戦が終わった時には、私はすべてを失っていた。フランスに戻りはしたが、みんな私のことを忘れていたし、彼らは私のコーチライセンスを認めたがらなかった。つらい体験だったよ。
私は人生で一度、ボスニア・ヘルツェゴビナの独立のために投票した。そして、その後起こったことを君達は見ただろう!私には高い地位にある友人が大勢いる。右派にも、左派にもだ。まあそれでも、右派にはあまりいないが…。しかし私はもう二度と投票はしないし、決して政党には入らない」


-フランス国内の極右の台頭をどう思う?

「ぞっとするね!しかし、フランスのような国で、人々が物乞いをするのを見るのは正常なことではないよ。世界で起こっていることは、どれも背筋が寒くなることばかりだ。だからこそ私は、スポーツはそういった問題を忘れるのに一番いい手段だと思っている。
スタジアムに来れば、サポーターは大声を上げて騒ぐことができる。時々、嫁さんに思い切って何も言えないような時にはね。彼らはそこでストレスを解消できる。自己表現の場なのさ」

(04年1月10日 ル・パリジャン)

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