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2012.06.02

【映像、アート、フランス闘牛】 10年と、10日間

"10 ans et 10 jours" (vimeo)


─子供の頃、ホセリートを間近で見た。それからリンコンや、エスパルタコ…。僕はすごく内気だった。ベジエのクアドリージャのパティオの片隅から、僕の正面に立つホセリートの姿をしげしげと見た。その真剣さ。首の傷跡…。僕は心動かされ、彼らのようになりたいと思った─


正闘牛士昇級10周年の2010年8月。闘牛場の通路で入場を待つセバスティアン・カステラの集中の表情を、たんたんととらえたオープニング。
彼の友人、アーティストのシルヴァン・フレイスが、故郷ベジエのフェリアからビルバオまで、セバスティアンとクアドリージャを追った10日間…約19分のモノクローム映像です。

フレイスはセバスティアンと同郷の出身で、主にペインティング(ちょっと、リヒターを思わせるような)のアーティスト。同じセビージャに住み、路上の壁に闘牛士のポートレートをステンシルするストリートアート・プロジェクトなども継続している。
一見して明らかに、専門の映像作家(のテクニカルな作為性)とはアプローチの仕方が違います。


オープニングの幼少時の記憶は唐突に断ち切られ、余計な説明も物語もなく、カメラはただ闘牛に臨むセバスティアンを追う。通路で、カジェホンで。そして寡黙な映像のハイライトは、12分30秒頃から始まるムレタの場。(これナイン・インチ・ネイルズの"Ghosts"ですね)
最もフレイスの個性が出た、重く息詰るようなスローの、幾分死の匂いのする…それは芸術における賛辞、つまり死を描くことは生を描くことでもあるから。

繰り返し繰り返し角の間に立ち、牛に近づこうとする。彼が最高の闘牛をする時は、彼と牛は得体の知れない1つの生きもののように見える。
伝統的な闘牛界ではエトランジェにすぎなかったフランス人のセバスティアンは、デビューした頃、注目をひくためにこのような危険な技を濫用したといいます。リベラシオンの名物闘牛コラムのライター、ジャック・デュランは、それを彼の唯一の欠点だと言った。しかし同様に、彼の長所はその恐るべきストイシズムだと。痛みや恐怖にまったく頓着していないようにさえ見える、謎めいた無関心…


画面が暗転し、クアドリージャの1人1人に感謝が捧げられ、バンデリジェロのアンベルの歌が始まり、映像は生の世界に戻ってきます。彼を支えるプロフェッショナル達の歌と手拍子をバックに、セバスティアンのファエナのラストシークエンス。
確かに闘牛を知るアーティストの撮ったものだと思う。ストイックに、刻印された一瞬の生とそのかたち。ただ「美と記憶の要請」に従って。

「私に語りかけるものは、フィロソフィックなアプローチだ。ホセ・トマスやセバスティアン・カステラのようなトレロの」(シルヴァン・フレイス)

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