【日記】 震災後家電的生活
前に麻生ちゃんが国民にカネをばらまいた時、どうせなら伝統工芸保存のために使いたいものだと考え、九段下の花田で漆塗りの椀を買った程度には日本のもの作り応援派なのだけど、ここ最近買った家電のほとんどが欧米メーカー(まあ製造はアジアのもあるかもしれない)というのはどんなものだろう。
掃除機という名の凶器○ーレは、見た瞬間あまりにもゲルマンなステレオタイプそのまんまの剛健な外観に感じ入ったものでしたが、国産メーカーのだだ漏れ掃除機と比較すれば気休め程度の信頼感はあった。付属品の価格も殺人的だけどね…
驚かされるのは性能面の要請がすべての利便性に優越していることで、あのくそ重い本体の、よりによって一番持ちづらいところに持ち手が付いている。ハンドルなんて別売りでしたよ。使用上の快適には追加のカネを払わなければならない。日本製とは根本的に哲学が違う。しかも日本製なら当たり前にハンドル部分にある電源スイッチは、振り返った後方の本体に付いている。
まあ、いらない機能をゴチャゴチャ付けて価格をつり上げられるよりはましというか、合理的なのだろうか。
さしあたっての生活に必要なのは、日本製家電の愛想の良さではなかった。しかし海外メーカーのサディスティック家電のぞんざいなサービスを、何か頼もしさと錯覚してしまう自分のM性はちょっと問題だと思っている最近なのだった。
(ところで私はずっと○ウェイクのスキンケア製品を愛用しているのだけれど、たまたま○リジンズ米国製を試してみてその大雑把な使用感に絶望した。効果は分からん)
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