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2009.12.18

【日記、書道】 型と自由

不測のプリンタ故障につき、けっきょく年賀状は印刷屋に頼んだ。
宛名書きはたぶんこれです_| ̄|○

Syodou_2_2

…まあどうでもいい話ですが、書道は趣味の1つです。最近はあまり時間がとれないのだけど、それはなかなかフェティッシュな偏愛を誘うものでもあり、墨の香りはある種のプルースト効果をもたらします。


書は一面では、運動のレコードのようなものだとも言えるでしょう。書の鑑賞はその記録された運動を共有することでもあり、それには若干の経験がいる。脳に、体に、運動を正しく再現する再生装置を組み込まなければなりません。

私のような凡庸なヘタクソは手本を前に悪戦苦闘し、再生ソフトのインストールを試みるのです。まずはすべてを初期化する必要がある。
自分を無にして先人の書に倣いつつ、それでもどうにも変えがたいもの、そこが個性といわれるものではないかと思います。もちろん私などはとうていその境地におよぶべくもありません。

かように個性はつくろうとしてつくるものではなく、どうしようもなく自分自身であること、でありましょう。ちょっとこざかしいことをやってみようなどと目論むと、ピンポイントで先生の朱筆が入ります。
当初はそれがジレンマであった。しかし技術を持たない者がいわゆる味わいを出そうとすると、そこには必ず作為、あざとさが出る。つまり俗気と言われるものです。(芸として成立しうる"ヘタ"とは単に技術がないことではなく、万に一つの才能である)
そして独自性を強調しようとすれば、表現はえてしてマニエリスムに傾きがちです。


以前、狂言師の野村萬斎氏が日経新聞に連載していたコラムを私は興味深く読んでいました。伝統芸能の世界に生きる方の書かれることは含蓄が深く、ことに"本当の意味での修行は大人になってからの方が厳しい"、というくだりには、はたと膝を打ったのであります。
自由を求める自我と伝統という強大な枠組みの葛藤。しかし囲いがあるからこそ、そこに遊技の精神が生まれ、逆に自由に表現できることを修行が終るころになってやっと知るのである、と萬斎氏はおっしゃる。囲いのない野原での鬼ごっこは、誰にも捕まらずに面白みがないと。

個性重視の時代と言われました。たしかに私達は解放されたのかもしれない。でもそこには、連綿たる流れから切り離された自意識が不安気にうつろうばかりにも思え、そして結局、自由という名の型の中にとらわれていくのかもしれません。
しかし表現行為において自由とは到達すべき地平であり、前提ではないのです。

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