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2009.07.14

キニナル絵画 連想リレー(2)

Kininarukaiga1「イリュージョン─より適切には仮象=光(シャイン)。光は私の一生のテーマだ。存在するあらゆるものが我々の目にみえるのは、我々がその反映する光(シャイン)を知覚するからであって、そのほかのものは目にみえない。絵画は、他のどの芸術にもまさって、ひたすら光に携わっている」(ゲルハルト・リヒター)

ごくありふれた写真を描き写したゲルハルト・リヒターのぼんやりと不鮮明な具象作品(フォト・ペインティング)と、制作にカメラ・オブスキュラを使用したとも言われるフェルメールの、光学的装置が結ぶ像特有の錯乱円やピントのぼけを思わせる作品が、時に似た表情(描法、あるいはモチーフにおいて)を持っているのは偶然ではないかもしれません。

リヒターの表現においては、目に見える世界のすべては知覚された光の反映にすぎません。その多様な手法(具象、抽象、絵画、立体…)のはざまに立ち現れる、めまいに似た視覚と現実のゆらぎ。「光」はリヒターの制作活動を貫くコンセプトです。
そして現代人がフェルメールに何らかの「新しさ」を感じるとすれば、それはまさにそこではないかと思われる。


富裕なプロテスタント系市民が主導するフェルメールの時代のデルフトは、絵画表現を宗教画、歴史画といった絶対的な主題から解放することも可能にしました。フェルメールの風俗的な作品には、当時のオランダ美術の潮流がそうであったようにしばしば寓意性が見られますが、特に充実した中期の作品では、いったん描かれた寓意的なモチーフを塗り潰し、そこに空間と意味の余白を設けようする意思が見られます。

描かれているのが人物であれ静物であれ風景であれ、主題それ自体は大した意味を持ちません。光学的な描写はすべてを光の反映のもとに等価に見せる。リヒターの多様な手法が表現において等価であるように*1。そして光の揺らめきと共に、絵画の現実はどこまでも不定形でとらえどころがありません。


*1 フェルメールの『小路』は、奥行き感の乏しい平面的に分割された画面の中で、中心の女性のいる通路(たぶんファザードの奥は屋外)が別の空間にあるようにも見える不思議な作品ですが、農場の風景が建物によって奇妙に4分割されたように見えるリヒターの"Gehöft Farm"(http://www.gerhard-richter.com/art/paintings/photo_paintings/detail.php?8316)にも似た感触がある。
このリヒターの"Gehöft Farm"と、彼の白を基調にした抽象画、そしてフェルメールの『小路』の壁の白く塗られた部分を並べて見ると、『小路』が具象でも抽象でもどうでもかまわないような気がしてくる…「仮象の作用は基本的には同じ」なのですね。

(ずいぶん間が空いたけど、ゴーニックからリヒター、リヒターからフェルメール、このエントリは連想のリレーになってます)

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