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2007.02.15

 スクレラという名のSO(1)

Skr2ここまでのシックスネイションズを、優勝候補との対戦も含めていずれもアウェイで2連勝しているフランス。ラポルトはアイルランド戦で、押されもしたけど最後の最後まで勝負をあきらめなかった選手達を高く評価してます。「私の選手達と、チームが示したメンタリティを大変誇らしく思う」。ラポルトも今回は『ギニョール』のネタにされて笑われなくてすむかな?

このシックスネイションズでテストされた選手達は、それぞれに結果を出しています。ボクシスはDGをポストに当てちゃったけど、彼のキックがチームから当てにされているらしきことは分かった。「我々はボクシスに“ポストを狙わないように”と言ったよ」、とジオ・マゾは楽しそうだったそうな。アチラの国には「列車が来たら一番いい車両に乗らなければいけない」、というような言葉があるみたいなんだけど、彼らは口々に「Bon wagonに乗りたい」と言ってます。
以下はSOスクレラについての、ロイターの記事の前半部分(あんまり正確な訳ではないかもしれないけど)。スクレラのお父さんはインタビューを受けてる映像を見たことがありますが、すぐ親子だと分かった…


─ワールドカップに向けた代表の最後の椅子をめぐる競争で、新たなフランス代表のSOダヴィド・スクレラは、彼らのライバル達より心理的に少なくともひとつアドバンテージがある。彼は父親のすぐ近くで、準備の7週間を送ることになるのだ。
代表のテクニカルディレクターとして、スクレラの父ジャン=クロードはマルクシのラグビーユニオン・ナショナルセンターの中心にオフィスと個室を持ち、トレーニンググラウンドの眺めを楽しんでいる。「父は月曜はそこにいなかったけれど、もちろん一緒にコーヒーでも飲みに行くつもりですよ。楽しいでしょうね」。ダヴィドはそう打ち明けた。

マルクシに身を落ち着ける前、ジャン=クロード・スクレラはフランス代表のすばらしい3列だった。46キャップ。ジャック・フールー、ジャン=ピエール・リーヴとともに1977年のグランドスラムを勝ち取ったメンバーだ。彼はピエール・ヴィルプルーとともにフランス代表を指揮して、99年ワールドカップ準決勝のオールブラックス戦の輝かしい勝利の後、決勝に進出もした。
そのような父を持ち、ジャン=クロードが代表のキャリアを終えた1年後の1979年3月2日に生まれた小さなダヴィドは、ラグビーの世界に身を投じるしかなかったのかもしれない。

トゥールーズで生まれて、彼はコロミエのラグビースクールに入った。彼の父親が長いことマイヨを着たスタッド・トゥールーザンの隣のライバルクラブだ。「父は一度も僕に対して監督として振舞ったことはなかった。僕が子供の頃、父は家でラグビーの話はしませんでした。父は僕にかまわなかった」、と彼は言う。
「父がようやく僕にあれやこれやと言い出したのは、僕がプルミエールでプレーするようになってからです。父はよきコンサルタントですよ」。ダヴィドはにっこり笑ってつけ加えた。

スクレラという名であることは、「たしかに若い頃はちょっとばかり負担でした」、とダヴィドは認めた。「ひいきされてると言われたくなかった。自分のポジションはアンフェアに手に入れたのではないということを示すために、いつでも他の人以上にやっていた。でも、僕は自分の名前を誇らしく思っていますよ」─

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