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2007.02.20

 スポーツに何を見るか

Keane“Farewell to Eirinn”
Dolores Keane&John Faulkner with Eamonn Curran
アイルランドのトラディショナル・ミュージックのアルバムをもう1枚。アイルランドを代表する女性シンガーであるドロレス・ケーンとジョン・フォークナー、イーモン・クランの、移民の歌を集めたアルバムです。タイトルは“フェアウェル・トゥ・エリン”。エリンはゲール語のアイルランド。彼女の名の“ケーン”(Keane)という表記もゲール語の発音なのだそうです。

歴史上、歌はしばしば人々のささやかな抵抗の手段でもありました。ドロレスの歌うどこかもの悲しいアイリッシュ・ソングは、それが美しいほどに民族の苦難の大きさをも示しているかのようです。私はアイルランドに詳しいわけではないけど、音楽などを通じて知ったことも多少はあります。12世紀以降、長きにわたるイングランドの支配と弾圧の歴史。今なお続く北アイルランド問題は、1605年、アイルランドの領主の抵抗運動の鎮圧と、北部のプロテスタント化に端を発しています。
そしてこのアルバムに収められた移民の歌の主な背景になっているのは、1845年に始まり100万人といわれる死者を出したジャガイモ(主食だった)の大飢饉。その飢饉の間にも、アイルランドで生産された小麦などの食物はイングランドに輸出され続け、飢えから逃れるため多くの人々が「棺桶」と呼ばれた劣悪な船に乗り込んで、アメリカ大陸に向けて命がけの航海に出ました。そのことはドロレスら自身がアルバムのスリーブに記しています。

─アイルランド史上最大の人口減少が始まったのは、ジャガイモの不作がもたらした1845-48年の飢饉でした。「飢饉」という言葉は実際は、人為的な飢餓に対するイングランドの言い訳です。この時期にアイルランドから輸出された穀物と牛の量は、飢えたすべての人々の2倍以上の食をまかなえる量でした。『人と超人』でバーナード・ショーが言っているように、「飢饉…?いや、飢餓だよ!国に食物が溢れてそれを輸出している時に、飢饉があるはずがないじゃないか」
1845年から1855年の10年間に、人口の約4分の1にのぼる200万人近い人々が移民しました。飢えと不公平から逃れる苦しみと喜びの物語を、このアルバムで語りつくすことはできません。私達はただこれらの楽曲を、新世界を求めて大西洋を渡った人々の希望と勇気と優しさ、そして大抵は失望の例として、彼らとその子孫と彼らが故郷に残してきた人々に捧げるだけです─

週末にはシックスネイションズで、そのアイルランドとイングランドの試合がダブリンのゲーリック・スポーツの聖地クローク・パークで開催されますが、アイルランドのアンセムやこのクローク・パークにまつわる物語にも、両国の複雑な歴史は色濃く反映されていると聞きます。そのような歴史的経緯を抱えながら、近年は和平の動きが進む共和国と北アイルランドとイングランド。先日の中継でのお話だと、この試合にはスポーツを通じた和解の1つの場になることが期待されている様子で、意義深いことですネ。


たしかパオロ・マルディーニだったと思うけど、彼は以前、冷戦後のヨーロッパの激動を代表戦で訪れる先々で肌で感じ体験してきたのだ、といったことをインタビューで答えていた記憶があります。ある意味狭いフットボールの世界だけれど、フットボールを通じて世界を知ることもできると、そういう話。
パリ・サンジェルマンには内戦を逃れてフランスに来たセルビア人選手とアルバニア人選手が一緒にプレーしていたこともあったし、当時のボスニア人監督は母国で実際に市民虐殺の場を体験した人でした。世界情勢に疎い私も、彼らのインタビューをサイトにアップしながらいろんなことを考えなきゃなりませんでした。あるセルビア人の選手は以下のように言っていたものです。彼らはそう思おうとしていたんだろうし、それは正しいと思う。
「彼らとユーゴ紛争の話はしない。僕達の目的はフットボールなんだ。すべては遠く過ぎ去ったこと、過去の話さ」

TVで海外サッカーの中継を見ていて、もちろんみんながというわけではないけど、さして詳しくもなさそうな他文化に対しての(主に主観レベルの)視野狭窄な言説には常々驚いて(というか呆れて)いるのです。フットボールを伝える人間の「最低限の仕事」は、見る人にそれを楽しむ「最大限の可能性」を差し出すことであって、決して自分の偏った嗜好を強制することではないだろうと思うんだけどな。それは知的職業に従事する人間として、とてもとても怠慢なことだと思う。
スポーツの試合の短い何十分かの間に何を見、何を読み取るか。それは人それぞれではあるけれど、何かを批評するという行為は、実はすなわち自分自身を批評する行為に他ならないのだということを忘れてはいけないんじゃないかと思うわけなんですね。

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Comments

う~ん・・。
深いですねーー。

>何かを批評するという行為は、実はすなわち自分自身を批評する行為に他ならないのだと

グサッ!!
以後、注意します。。

Posted by: ひろどん | 2007.02.20 at 19:14

いやそんな、一部の「悪い意味で」オタク的な海外サッカー・ジャーナリズムについてのことですよ。ひろどんさんのブログからはほんとにラグビーがお好きなんだな、っていうのが伝わってきます。批評はやはり、根本に対象に対する敬意があるかどうかじゃないでしょうか。
上に書いたようなことを、ラグビーで感じたことはまだないです。解説なさる方も、基本に「日本のラグビーを良くしたい、強くしたい」という思いがちゃんとあるからじゃないかと思います。

Posted by: つき | 2007.02.21 at 23:50

実は・・。
どうしても好きになれないチームが、いくつかありまして、書き出すと単なる悪口になってしまうので、触れないようにしております。。


いちおー、気をつけているのが・・。

Strong and bitter words indicate a weak cause.
「強く辛らつなことばは、その人の主張の根拠が弱いことを示すものだ」
by:ユゴー。

Posted by: ひろどん | 2007.02.22 at 19:00

>好きになれないチーム

私もありますよ。でもそのテの話は難しいですよね。その時間に好きなことを書いた方が楽しいし、見る人にもできれば楽しんでもらいたいと思うし…

>強く辛らつなことばは、その人の主張の根拠が弱いことを示すものだ

それありますね~。私も気をつけないと…。皮肉っぽい方なんですよ。

Posted by: つき | 2007.02.23 at 00:44

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