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2006.05.06

5月に来た猫

長かった冬が過ぎてなじみの野良猫と久々に顔を合わせたりすると、ああ何事もなく冬が越せたんだ、と思う。2月の頃には、見かけない猫があちこちからわらわら湧き出し、雄猫が発情期のトんだ目をしてアアアアと小走りに駆けていくのを見かけ、それから桜が咲き、サツキが咲いた。もうすぐ、そこここに春仔が溢れる。

15年生きた実家の猫が春の手前で死んだ。何日か前からほとんど眠っているような状態だったのが、その前の晩、飲みから帰った父を戸口でキチンと座ってお迎えをした。最期の時は、母親がヒーターの温度を調節してやろうと後ろを向いた時に、寝ていた猫が子猫の声で3度鳴き、振り返った時にはもう駄目だったそうだ。

思えばまだ片手に乗るくらいの大きさで、ちょうどこの5月の頃に家に来たのだった。異様に足の太い子猫で、これはやばいなと思っているうちに最盛期には7キロ強、米袋1.5袋分の大猫に育った。
まあ子猫といったものは、小指くらいのシッポにぶるぶる力を入れ小般若顔でご飯を!ご飯ををを!なんて鳴いて、食べれば食べた分だけポコっと腹が出るし、さておなかもくちいので眠いんですということで、時々ビビビビなんて痙攣しながら眠ってるなと思ってふと気がつくと、一丁前に難しい顔をしてトイレで踏ん張り、ニクキュウをいっぱいに開いてゆるめのウンチに砂をかけようとするので必然的にこね回す形になり、その足ではりきって飛び出してくるものだから気が遠くなった。
合間合間にはボールと渾然一体となってそこいらを転がり回っていたりする。子猫の日常はシンプルだ。大人猫の日常も基本的にはシンプルなのだけれど、その狭間になんとも形容しがたいじんわりとした味わいがにじんでいたりする。

子猫を見てると、所詮人間だって1本の管とその流通みたいなもんだよな、なんて思ったし、その管に何やらいろいろとややこしく煩わしいものがやるせなく付着しているのだ。
いきものはいきものらしく潔く逝ったが、人間はといえば、まだ何かもっとしてあげられることがあったのではないかという思いにとらわれている。母は最期の時にあの子猫の声でどこかに生まれ変わったのだと信じたがっている。私はといえば、5月にやってきた猫が、鯉のぼりに乗って、というかかぶりついて、ゆっくり空に上っていく様を夢想したりする。

Kaikai

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