« そんな時は猫に聞くのだ | Main | お知らせ »

2005.10.25

秋なので

なんとなく読書日記。

建築は好きだ。「集合住宅物語」(植田実著・みすず書房)にとりかかる。集合住宅の、何世帯ものさまざまな生活を収めるシステムとしての建築は単純に面白いし、時代の生活の意識が個人住宅よりも如実に表れたりする。
私は2歳くらいまでを田舎町の町営住宅で暮らしたのだけれど、道沿いの少し下った所に同じ形の棟が並んで、小さい頃からボンヤリしていた自分は、よく間違えて隣の家の玄関を開けていた。よく覚えていないけれど、住宅の人達は一番小さい子供の私を可愛がってくれていたらしい。家庭は裕福ではなかったけれど、あの頃は幸せだったと母は言っている。そんな記憶がある。

古い集合住宅に興味をひかれるのは、建築に影のように重なる人間の生活の痕跡、重層的な時間といったものに対してでもあるのかもしれない。時に亡霊のような。
80年代を中心とした局地的な路上観察ブーム、いわゆる「トマソン」というやつだけれど、あれは過去の人々の生活と、そして現在の不在の狭間に立ち現れる町中の残像の記録といえばそういうものだった。その物件の1つに、有楽町線麹町駅の構内にベンチ状に並んだ10脚の椅子があり、その背後の壁に、入れかわり立ちかわり腰掛けた人の頭や肩にこすられて、あたかも10人の幽霊が座っているかのような跡が浮かび上がっているものがあった。ボルタンスキーだ…。確かにここにいた人達の、でも、とても不確かな記憶が。

話がそれてしまった。この本で、同潤会アパートから代官山ヒルサイドテラスに至る集合住宅を撮影している鬼海弘雄の写真もいい感じ。
建築写真は時に、そのフォルムを超えて、そういった漠然とした郷愁に結びついてしまうことがあるように思う。ベッヒャー夫妻の給水塔ばかりを撮影した写真集を持っているのだけど、彼らの建築物の写真を並列したタイポロジーのモダンアート作品は別としても、こうして写真集を見ていると、厳格に感情的な要素を排したはずの作品が、図らずも車窓の記憶という意識の一番柔らかい部分に触れてくることに気づいたりもする。
杉本博司の念写写真みたいなピンボケの建築写真シリーズは、建築の本質を焼き付けるという点では、だからきっと正しいんだと思う、けれど。

|

« そんな時は猫に聞くのだ | Main | お知らせ »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/91018/6581409

Listed below are links to weblogs that reference 秋なので:

« そんな時は猫に聞くのだ | Main | お知らせ »